「バンコクのスピーチ大会に応募しようと思います。原稿をみてもらっていいですか?」

「いいよー。もう書いたの?」

「なんとなく…うーん、いや実はあんまり。スピーチ原稿を書いたことがないので、どうまとめていいか、よくわからなくて」

「そっか。期限は?」

「3日後なんです」

「おいおい、間近だな」

「そうなんです」

学生は笑顔で言った。


その日の夜、送られてきた原稿に目を通した。

学生の色々な思いが詰めこまれていた。

”なんとなく…うーん、いや実はあんまり” という学生の言葉は嘘ではなかった。

これをどのように筋を通してまとめるか、となった。


3日で仕上げるために、話し合いが始まった。夜中までzoomを繋いだ。


学生の言葉を組み合わせていく中で、僕自身は「博愛社会をめざす」という今年のスピーチ大会のテーマの出し方それ自体を批判しちゃうみたいな方向性がいいかと思った。


でも学生は僕とは違って、もっとずっと素直でまっすぐだった。学生の中にあるぐちゃぐちゃとした思いが、吐き出された。


そして別の方向で、言葉たちが組み合わされた。

「気づかない差別」

長い話し合いで漕ぎ着けたキーワードだった。

このワードが出て、あとはひっぱられるように原稿が仕上がっていった。


人は自分では意識しない「気づかない差別」をしていることが多々あって、様々な人や地域との良好な関係性を築くにはそのことにもっと自覚的にならなくてはならないというものだった。シンプルだけど、学生の色々な思いの背骨となるような言葉だった。


締め切りの数十分前。日本に向かうためにスワンナプーム空港からのzoomがラストの話し合いとなり、ぎりぎり応募に間に合った。2人とも、妙な達成感があった。



70人以上の応募者数の中で、10名の選抜者に入り、昨日バンコクでスピーチ大会に出場した。

無論僕も、バンコクへ応援に向かった。


学生は一番手で緊張し、少し原稿を飛ばしてしまった。でも、よく最後まで言い切った。

そして自分が終わったあとも、他の出場者のスピーチに対して前のめりで聞き、温かい拍手を送っていた。終わった子たちに、声をかけていた。

遠くの席からみていて、その人柄の良さが印象的だった。


学生は、残念ながら入賞は逃した。

入賞者を発表しているとき、横に座っていた学生から悔しさが滲み出ていたと思う。


「そういう時もあるね。来年、また来ような」

「はい。そうですね」

学生は悔しさを隠すように、笑顔で言った。



大会会場を後にして、2人で日本語の古本屋巡りをした。

「先生、プロンポーンの駅近くの古本屋の中でこの店が一番安いんです。だから、先にこっちを見ましょう。ここにあればラッキーです」

学生は東野圭吾が大好きで、お目当ての本を探していた。


「先生ー、ありましたよ!ほらほら見てください。40バーツ!」

ちょっと前には舞台に堂々と立って大人びていた学生が、子供のような笑顔でそう言った。

入賞できず、なんとなく重くなっていた空気を自分でなんとか変えようとしているようにも見えた。


バンコクの友達のところで一泊するという学生と、チェンマイに戻る僕とは、古本屋の前で別れた。

「先生、今日は本当にありがとうございました。来週、チェンマイで会いましょう」

学生は笑顔で手を振った。



帰りの飛行場で僕は、「今日はお疲れさま。また、来年リベンジしようねー。そして、次回も古本屋巡りをして、その後はお祝いの乾杯だね!」とメッセージを送った。学生は「もちろん、よろしくお願いします!」と返信した。


今回のこの経験で、きっと学生はもっともっと大きくなるだろう。そして僕はいつもそんな学生たちの姿をみて、言葉を聞いて、大きな刺激や感動をもらっている。ありがたいことだ。


     
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年末、高校の同級生と会った。


母校のすぐ近くにあった善福寺公園(学校は移転し、かつての校舎はマンションに変わってしまった)。

そこで、自転車で待ち合わせ、合流した。

「おう」

3年ぶりとは思えないほど素中の素で挨拶を交わし、そのまま自転車をこいて、西荻のパン屋へ向かった。


いくつかのパンとコーヒーを買って公園に戻り、池のほとりで食べた。

あーだこーだとしゃべって、寒くなってきたら歩く。

疲れたら一休みして、また体が冷えたら歩く…


気がつけば5時間近くたち、日は暮れかかろうとしていた。

日が落ちる前にと、自転車を走らせた。

「不思議なもんだ」

友人は別れ際、そうつぶやいた。


「じゃ、また」

学生時代みたいに別れた。


かつての通学路。

中学・高校時代は、毎日、片道40分このあたりをこいでいた。

12月夕暮れの道の景色は、なんだかあまり変わっていないようにも感じた。

でも、どうやら僕も友達も、あの頃から20年以上も年を取り、生活も変わったようだ。

「不思議なもんだ」

確かにそんな気がしてきた。


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12月いっぱい、正月明けまで、日本で過ごした。


世界は偏見や分断が進んで、世知辛いように思えてならない。

でも家族や友達、お世話になっている先生方、皆さんにあたたかく迎えてもらった。

とても、ありがたい。


「自分の周りの人たちと、生活を大切にしていかないと!」

これまで何度も日本に一時帰国したが、今回ほどそう思ったことはなかった。

みなさん、ありがとう。そして、今年も飛躍の年に!


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「第一回タイ・オンラインかるた競技大会。優勝」 
チェンマイ大学かるた部は、それをやってのけた。 





チェンマイ大学にかるた部は新設されてから、早いもので3年目を迎えた。しかし、今年度前期は全てオンラインのため活動はできず、さらに後期も「年内いっぱいはオンライン」が決定。かるたは難しく、とりあえずZOOMで新入生を含めての顔合わせをしたくらいだった。 

そんなとき初代部長(卒業生)が、クルンテープかるた会の「第一回タイ・オンラインかるた競技大会」の案内を教えてくれた。僕たちはこれによって、アプリでオンライン競技かるたができることを知るとともに、さっそく大会にエントリーした。

2代目部長(4年生)、現部長(3年生)、2年生の3名で構成されるチーム。その名は「チェンマイ大学かるた部」である(僕がとりあえずでつけた、ひねりのないそのままのチーム名)。 

とはいえ、いざ大会にエントリーはしてみたものの、練習はなかなか進まなかった。正直、本格的に行ったのは4日ほど前から。「よし、明日はベストを尽くそう!」そう言って前日までの練習が締めくくられた。 

大会当日。 出場者3人と僕は、控室的にZOOMをつないでいた(4時間以上)。




4人で大会の開会式などのライブ映像をみる。チーム名は自由で、みなが思い思いのユニークな名前をつけていた。そのなかで唯一、面白みのない「チェンマイ大学かるた部」。 
「俺らだけ、真面目か!」 
4人で爆笑した。 

 そして、試合がまわってきた。 
「いってきます!」 
そう言って、出場学生たちはZOOMのビデオ画面を切った。 その間、顧問は待ちである。

そして、試合が終わるとZOOMビデオがオン。 
「勝ちましたー」 
学生が戻ってきた。
接戦のすえに勝ちをもぎとった学生が、ガッツポーズしながらZOOMに戻ってきたときには、しびれた。 

ということで、蓋を開けて見れば、連勝・連勝。 
「チェンマイ大学かるた部、強いですねー。優勝候補ですねー」 
司会の方々からも言われている。 

「チェンマイ大学」「チェンマイ大学」と連呼される(競技の様子はコチラ)。 
真面目で堅苦しいチーム名は、逆によかったようである。 

そして最終的には、優勝をさらった。みなで、ZOOM内で大喜びした。

大会後に学生たちは「初めての大会。とてもいい経験になった」とか、「やってみれば、頑張ってみれば、勝つことができるということを知った」などと語った。 

 「チェンマイ大学かるた部は来年からも連勝を続けよう。かるた部の伝説は今日から始まる!」 
そう言って、みなで記念撮影。バイバイとZOOMをきった。 



学生の底力は圧巻、感動した。本当にありがとう。おつかれさま! 
僕は無論、大会に出てない。でも祝杯の酒の味、最高にうまかった。



警察からの手紙が突然届いた。

別にふだん悪いことをしているわけではないが、なんだか気分はよくない。


封を切ってみる。

我が家の車が、交差点を駆け抜けている写真。

あれー。


日付を見ると1ヶ月ほど前。

なんとなく思い出した。

大学近くの交差点で、赤に変わるか変わったかくらいのタイミングで走り抜けたことを。

「ま、これは行くでしょう。ただまあ警察がいたら、ギリOKか、下手すりゃピッピピーだな」

みたいなことを思ったような、あるいは口に出したような気がしないでもない。

で、警察こそいなかったが、眼を意味するオービスは光っていた。

ギリOKではなかったのだ。


書類によると、減点はないもよう。

ただ、500バーツの罰金。


「まあ、事故よりはずっとマシだ。次からは気をつけようと思わせてくれる、いい勉強だ」

そう強がりつつ、スマホからすぐに振り込んだ。

(警察からの書類にはバーコードが入っていて、スマホをかざせばすぐに支払い完了。そのあたりの迅速さたるや、脱帽である)


さ、これからは気を引き締めて、安全運転を心がけよう。

そう思って、ハンドルを握る。

交差点、決して無理に渡りはしない。

いい教訓になっているのである。


ところで実は…

違反をした日から警察からの手紙がくるまでの1ヶ月ほどの間で、軽く違反気味なことをした記憶がうっすらとある。いや本当は、割とはっきりある。

しばらくはポストを見るのが怖くて仕方ない。



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いつものガソリンスタンド。

給油を済まして、エンジンをスタートさせた。


おや?かからない。

あれ?あれ?

焦りまくる。色々なボタンを押してみる。

知らないスイッチもとりあえず押してみたりする。

もしかしたら、アクセルとブレーキを同時に踏みながらスタートを押せば…と試す。

今考えれば、そんなスマホやパソコンの裏技のようなことでかかるはずもないが、そのときは必死だったのだ。


ガソリンの給油を望む後続車たちが、今か今かと、僕の車が出るのを待っている。

バックミラーに映る運転手たち。イライラしているように映るのは気のせいではなかろう。

エアコンもかからないので、汗だくである。


僕は意を決して車から降りた。

「エンジン、どうしてもかからないですー」

半泣きの態で、ガソリンスタンドの店員さんに言った。

サイドを刈り上げつつのロングヘアーのおじさんで、見かけは割と厳つい。


「え?かかりませんか?おーい、ちょっと見てやってくれ」

おじさんは後続車を違う給油場へ移動させつつ、違う人を急いで呼んでくれた。


呼ばれた人もあれこれ試す。

「こりゃ、バッテリーが上がってるな」

つい2分前まで颯爽と走っていたのに。そんなことあるのかと愕然とする。


「どうしましょう」

刈り上げのロングヘアーのおじさんに問いかけた。

「ニュートラルにできるか?とりあえず、駐車場まで押してあげるよ」

おじさんは後ろに回って、車を押してくれた。


「はいー、右にハンドルを切ってー」

見かけの厳つさとは裏腹に、なんとも親切な方だ。

その優しさに、汗だくで感動した。そして、無事駐車。




「車の修理をしてくれる業者を呼んだらいいよ。もし番号がわからなかったら、店からも呼べるから、言ってな」

そう言って、サッと仕事に戻っていったおじさん。

そのヒーロー性に、感動。後ろ姿をただ眺めていた。


さて僕は、以前に修理をお願いしたことのあるB-Quickが来るのを待った。

1時間ちょっと。急な呼び出し。それくらいはかかるだろう。


何度かの確認電話ののち、B-Quickの店員さんがバイクで現れた。

手には小さなバッテリー。

「もしかしてクレーン車みたいので移動」とかになったら大変だな、と少し心配していた僕はいい意味で拍子抜けである。


そしてお兄さんは手際よくバッテリーに線をつなぐと、スタートしてくれと言う。




写真なんか撮ってる場合ではない。

僕は言われたとおりに急いで運転席にむかい、スタートボタンを押す。

すぐにかかった…。

お兄さん到着から、ものの3分。その迅速さに感動である。


「料金はいりません。会員サービスです。

ただ、バッテリーが古くなってきてるようです。近いうちに変えることをおすすめしますよ」

そう言って、定員のお兄さんはバイクで去っていった。

サービスにもまた感動。しばらく佇んだ。

皆さんの助けあって、無事に車がなおった。本当にありがたい。


帰り際、刈り上げロングのおじさんにお礼を言おうと思ったが見当たらなかった。

引き継ぎしたあとだったのか、休憩に入ったのだろうか。

お礼を言えずして現場をあとにしたことが、悔やまれてならない。




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新入社員のタイ人のおっちゃん。


     
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たった一言だけで、それだけで大きく救われることがある。先日、そんな言葉をいただいた。


僕は歴史学の日本近世史専門の出だ。しかしこの数年は、いろいろな経緯を経て、人類学の分野に向けてのまとまった論文を執筆している。


もともと、大学時代の指導教官の影響で歴史人類学的な研究に惹かれていた。フランスのアナール学派をはじめとした本を、ゼミ内で多く読んだ。


「歴史人類学の大きな課題は、過去のある時代、ある社会を、その深層において読みとっていこうとするところにあります」(二宮宏之『歴史学再考―生活世界から権力秩序へ』:3ページ)


こうした言葉に感銘を受けていた。表面に現れた歴史的事象の深層を読み解くために、人類学の考え方を積極的に取り入れる歴史人類学の研究にはまっていた。


そして、今。人類学の分野に挑戦して勉強をはじめると、「歴史人類学」についての歴史学側と人類学側のとらえかたの違いは大きかったことを痛感する。歴史学は過去のある時点を明らかにするが、人類学はその歴史的事象を現代的な視点でどのように捉えるかが問われる。人類学の訓練を受けてこなかった僕は、苦しみまくっている。


それでも、ようやくとある人類学系(民族学)の雑誌への投稿論文が採用され、それをベースにしてひとつの論文をまとめあげた。日々の仕事をこなしながらの執筆作業は、過酷だった。


度重なる校正をし、人類学の指導教官の先生にファイルを提出した。



結果は…。大幅な修正・加筆の必要性ありとのご指摘を受けた。


努力の量ではなく、結果がすべてであることを突きつけられた。正直言って、心が折れそうになる。メールを頂いたその日は、けっこう落ち込んだ。なんだか、どうしていいか先が見えなくなったのだ。


職場でお世話になっている人類学の先生に連絡し、話をさせてもらった。今回まとめた歴史的事例について、人類学にとらえること、言語化することがどうしてもうまくできず、方向性が定まらないことを伝えて、ご意見を頂こうと思ったのである。


すぐに先生は時間を作ってくれた。


「君が論文を提出しようとしているところは、いわば伝統的な人類学のスタイルを保持しているところです。そこに合わせた論文が求められるだろうから、修正はけっこう大変かもしれませんね。君のことを見てくれている先生は柔軟な人だけど、そういう組織に提出しようとしていることは念頭においたほうがいいでしょう」


「…ただし。君の書いていることは、たしかに歴史的な事例かもしれないが、現代的な文脈で十分にとらえることができると思います。社会人類学、あるいは社会科学的な観点からみても重要な論点を含んでいます。だから自信をもって、とにかく前進したらいいですよ」


先生は「この議論はこうするべきだ」とかはもちろん語らない。自分の力で試行錯誤することは当然だからだ。


でも、「自信を持って前進したらいい」というそのお言葉。気持ちがスッと楽になった。


「僕が書いていることはこれでいいのだろうか。なんだか、もうよくわからん!」と、自分の研究内容に対しての自信を失っていた僕に、先生の一言は大きな救いとなった。


「修正の方向性が決まり、少しまとまってきたら、いつでも連絡ください」

そう言っていただいた。本当にありがたい話だ。


これから半年くらいかけて、大幅な修正をすることとなる。落ち込んでいたって仕方ないし、気を取り直して、とにかく前進していこう。こうなったら徹底的にいいものに仕上げていこう。またしばらく休みのない日々が続くとしても我慢、我慢。


経過や気付きについては、ちょいちょいブログにも書いっていこうかなー、って若干思っている。とはいえ、今回の記事も数カ月ぶり。継続的にアップする自信は正直ない。



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