人類学者レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』

ブラジルの未開地の社会や人びと、文化を綴った名著である。

そんな『悲しき熱帯』で描かれる土地や人々の写真を集めた、『ブラジルへの郷愁』が復刻された。




これが、なんとも素晴らしかった。

『悲しき熱帯』と一緒に読んでいると、なんというか、圧巻である。



構造主義で一世を風靡したレヴィ=ストロースが、若き日に見つめたブラジルの社会と人びと。

被写体となっている現地の人々の表情を見ると、いかにレヴィ=ストロースが、彼らからの信頼を得て、好意的に受け入れられたかが伝わってくるようだ。




きっと、レヴィ=ストロースは知的好奇心という活力に満ち満ちた、魅力ある男だったのだろう。



ボーと写真を眺めているだけで色々な刺激を受ける、そんな一冊である。


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タイの友人から電話がかかってきた。


「リョウタ。Merry Christmas!&Happy New Year !」

「ああ。Merry Christmas!」



どうやら、電話の向こうは友達連中で盛り上がっている。

みな、そろって、

「Merry Christmas!&Happy New Year !」

と僕に告げる。



「Merry Christmas!

まぁ、Happy New Yearは、もうちょっと先だけどね」



「ええ? Christmas と Happy New Yearは一緒だろう」

電話の向こうの連中が、にわかにざわつく。

クリスマスとHappy New Yearの別物情報は、彼らにとって青天の霹靂だったのだろうか。



「いや、違うと思うよ」

「そうなのかい?でも、まあ、西洋人にとって重要な同じ祭りだろう?」

「そうだねぇ。簡単に言えばクリスマスはキリストの誕生日を祝う祭りで、Happy New Yearは正月だよ」



「そういや、そうだな」

皆で妙に納得しあっている模様。



「まぁ、いいや。とにかくMerry Christmas! & Happy New Year!」

そういって、電話は切られた。


どうやら、彼らにとっては、クリスマスと正月の区別など問題じゃないようだ。

まぁ、タイの重要な行事である入安居(カオパンサー)出安居(オックパンサー)の区別を、僕達日本人は常識として把握していないみたいなもんか。


何はともあれ、メリークリスマス!


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バンコクを歩き、ちょっと、路地に目を向ける。

お世辞にも裕福とは言えそうもない、もの悲しげなおっちゃんと、いたって普通の犬。


おっちゃんを見て、タイの格差社会を思うことは簡単だ。

でも、おっちゃんの歩んできた歴史・人生は、当然のことながら、僕らには想像しえないほど色々だろう。

おっちゃんを見て、「格差社会だから」と一言で片付けてしまうには、あまりに簡単に過ぎる、のである。



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ちと、ネーミングが怖すぎる。

なぜ、この店名なのだろう。

分からない。


中を覗いてみると、子供達が、ゲームに興じていた。

いたって普通のインターネット屋である。


とりあえず、一安心だ。



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ジャムジュリー・スクエアCHAMCHURI SQUARE。



チュラロンコーン大学の南、地下鉄サームヤーン駅のすぐ近くに立地する。

ビル内には、プーパッボンカリー(渡り蟹のカレー炒め)で有名なソンブーンをはじめとしたレストラン、ロフトなどの雑貨屋、語学学校、アップル製品を売る電気店など様々なテナントが入っている。








で、最上階には、チュラブックセンター。




サイアム駅近くのチュラブックセンターよりも広々として見やすい感じ。




チュラグッズも、相変わらず。



いまだに、チュラの帽子を着用している人間を見たことがないけどね。



まぁ、それはさておき、これからもっと、テナントは増え、盛り上がっていくことだろう。

本を見て、ブラブラとビル内を歩いて、プーパッボンカリー食って・・・って一日遊べるかも。


でも、実のところ僕は、ソンブーンでプーパッボンカリーを食ったことがない。

そんな貧乏学生を象徴するかのように、ジャムジュリー前に止まっていた我が愛用チャリ(向かって右に止められている)が、なんだか悲しげだ。



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タイ・イサーンに住むラオの人々は、ラオス(ほぼ、ビエンチャン)からの移住者だ。

そのためイサーンは、ラオスの歴史性と密接に関連し、文化も非常に似通っている。



ということでイサーン好きの僕は、最近、ラオスにハマッている。



そんななか、ラオスを知るに便利な本が、相次いで出版されたので紹介したい。それは、


マーチン・スチュアート-フォックス著 菊池陽子訳  『ラオス史』 めこん

菊池陽子等編  『ラオスを知るための60章』 明石書店


である。



『ラオス史』は2010.11.10に出版。(原文はMartin Stuart-Foxの”A History of Laos”(1997))
    





日本語でラオスの通史が描かれた本は、上東輝夫先生の『ラオスの歴史』(1990)以来だと思う。

まさに、稀有な本だ。


長年ラオスに住んできた著者が、多くの研究成果を踏まえ、ラーンサーン王国から現代のラオスまでの通史の叙述に挑み、圧巻である。



しかも目を惹くのは、その装丁。

真っ白な表紙に、『ラオス史』の文字。

ラオスの歴史を正面から論じた本の出版が少ない現状に、一言物申すような、そんな力強い表紙が実に印象的だ。



『ラオスを知るための60章』は、2010.12.5に出版。






『~知るための60章』シリーズ、ラオス版は初であり、うれしい。

ラオスの政治から経済、環境、自然、文化、歴史・・・まさに、ラオスを知るための本だ。



本の中で、ラオスの諺「禿たかの群れに入れば禿たかに。カラスの群れに入ればカラスに」が紹介されていた。

日本語でいう、「郷に入っては郷に従え」の意とか。


それを実践するためにも、この本を読んで基礎知識を得てから、ラオスに旅立とう。

今すぐにでも行きたいところ、である。



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交通都市バンコクでは、無数のバスが疾走している。

異常に運転の荒いバス、異常に音楽が鳴り響くバス、渋滞にはまり異常に動かないバス・・・

様々だ。


そんなバンコクのバスでたまに見かける光景。





そう。運転手の家族が、運転手と一緒になって、バスで一日過ごしているのだ。

それは、日本ではあまりに考えられない光景だ。

新宿ー王子間のバスで、運転手の家族が、運転手とともに過ごしているのを見たことあるか?と聞かれれば、大半の人はノーと答えるだろう。



でも、バンコクでは比較的容易に見ることができる光景。

そして、あまりに微笑ましい。


子供は、窓からの眺めに釘付けになり、それをお父さんが運転しながら見守る。

お母さんは何かを頬張る。

3人仲良く、エアコンのない暑いバスの車内で揺られ、笑いあう。


いいもんだなぁ・・・



この子の目には、バンコクの街がどのように映っているのだろう。

それは、僕には分からない。


でも、この子が大きくなって、ある日ふと、バスで過ごした3人での日々を思い出すときがあるかもしれない。

なんか幸せな記憶としてこの子に思い出されるような、そんな気がしてならない。
     
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Ox-Train。

直訳すれば牛列車。


かつて、タイの山間部や森深い地域では、この牛列車が、荷物を運ぶ上で重要な役割を果たしたとか。

農閑期、普段は農作業に従事する農民の一部が、牛に荷物を乗せて商売し、他地域へとモノを広げていったのだ。



いや、きっとモノだけではない。

村から村へと、情報を伝える役割をも果たしていたことだろう。

「○○村ではさ~」

みたいに。


牛列車はモノと情報の伝播の象徴だったのである。



そんな、牛列車。

タイの近代化が進む中で、交通網や鉄道が整備され、20世紀半ばには姿を消していったという。

牛の脚力からモーターへ、ってわけだ。


今では、村の中で牛の散歩を見かけるにとどまっている。



<参考>
Chusit Chuchart, 1989, “From peasant to rural trader:The ox-train traders of northern Thailand 1855-1955” ,Australian National University Thai-Yunnan Project Newsletter,Vol 7



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村人たちの前で、ギターを弾き語るその友人は、物静かだ。

見た目はTOKIOの長瀬風なのに、高倉健ばりの渋いトーンを備えている。

僕とは性質が違う。


彼は、普段は村の役所に勤めている。

で、時々、村のイベントなどの際に、皆の前で歌を披露するのだ。



村人たちが寝静まった夜更け。

僕たちは、村の道にござを敷いて、酒を呑んだ。

同世代ということも手伝って、お互い気を使うこともなく、静かに酒を酌み交わす。

相手が高倉健ばりだと、僕も物静かに酒を嗜むようになるものである。


「俺は、歌手になるためにこの村を出て、都会へ行った。最初はバンコクに行き、その後、パッタヤーのとある店で歌っていたんだ。

でも、なかなか思うようにいかなかった・・・

当時、一緒に住んでいた彼女も、僕と同じように、歌手だったんだ。

で、彼女は成功した。今もパッタヤーで歌っているはず。

才能があったんだ。本当にすばらしい歌手なんだよ。


僕とはぜんぜん、違ったんだ・・・・


そして、今は村に帰ってきて、役所に勤めている。

それでも、村のお祭りの時なんかには、ギターの弾き語りもやるんだよ」



音楽のことを話している彼は、懐かしさと、少しのさびしさを抱えているように見えた。

それでも、とても輝いていた。

夢破れたとはいえ、やはり、音楽が好きで仕方ないのだろう。

そんな感じがひしひしと伝わった。



その日は、2人で、ビール瓶を20本近くあけて、ベロベロに酔っ払った。

次の日は当然のごとく、二日酔いだったけど、役所内で、ビシッと制服を着込んで、彼は仕事をしていた。


音楽の話をしているときの彼も輝いて見えたが、役所内でもキマッていた。

僕と目があうと、”頭痛い”というジェスチャーをした。



「もう一度、バンコクとかへ行って、歌いたい?」

「いや、もう都会はいいんだ。村でこうしてみなと静かに触れ合いながら、時々歌を歌う。これで幸せだよ」

そう、静かに語った彼が、村で村人たちに歌を披露する、その姿をいつか見たいものである。


※敬称は略しました。

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タイやラオスの田舎を歩いていると、必ずといっていいほど集まってくるのが、地元の子供たちだ。

特に、僕が長年お世話になっている家には、小学校低学年のお子さんがいて、友達も引っ切り無しにやってくる。

そのため僕の顔はすぐに近所の子達に覚えられ、道を歩いていても、「ハテ?どこの子だ?」という子から名を呼び止められる。

(実は大人たちからも同様に声をかけられる。たいがいは酒飲み!)



だが、何を隠そう。

実は、僕は子供と遊ぶのが得意ではない。

別に子供が嫌いというわけではないのだが、基本的にどう遊んでいいのか分からないのだ。

犬と遊ぶほうが数倍、得意なのである。



ということで、子供たちが大勢ワッと来た日には、僕は戸惑いを隠せない。

一刻も早くこの場を去り、犬と戯れたくなる。



「見て、見て。りょうた兄ちゃん!」

と言ってわけの分からない行動を僕に見せ、そして爆笑しあう子供たち。



「いや、いや。意味分からないから」

子供たちの行動に日本語で言い、距離をとろうと企てる。



「イヤ、イヤ。イミワカラナイカラ・・・」

爆笑する子供たち。

すぐに日本語を吸収してしまうパワーには圧巻。



「もっと、日本語教えて!」

僕のあくどい企ては功を奏すことなく、逆に子供たちは増え続けていくのであった。





でも、まぁ、こうして写真を見ると、皆、本当にけなげで可愛い。

周りに集まってくれること自体、ものすごく幸運かな。



将来、彼らとイサーンの村の地べたにゴザを敷いて、イサーン料理をつまみながら酒を呑む。

そんな日がくることを想像するだけで、いやはや、なんともワクワクしてしまう。



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イサーンの村々を歩いていると、自分の村の歴史や文化を丹念に調べている”先生”と呼ばれる人物に出くわすことが多い。

本当に学校で教鞭をとっているわけではないが、”先生”として村人から大いに尊敬されている。

確かに”先生”は勤勉で、「村博士」といった態である。



また、”先生”は、人材育成にも非常に熱心だ。

子供たちに自分たちの村の歴史や文化を調べさせたり、村の要人にインタビューをさせて映像化したり、あるいはセミナーにおいて子供たちの発表の場を必ず設けたりしている。

自分たちの村のことを自分たちで調べて気づかせ、考えさせ、発信させる。そうした環境を整えているのだ。



ところで今、イサーンの村人の多くは携帯電話を所有し、また徐々にだがインターネットも普及し始めている。

村人は世界につながるツールを手に入れつつあるのだ。

そのため今後、そうしたツールを利用して、イサーンという、我々先進国から見ると辺境に位置する地域から、情報がどんどん世界に発信されていくことだろう。

     ”地域住民が主体的に自ら発信する情報”

それは、これまで、人類学者や社会学者などの一部の学者だけが担い、発信してきた”情報”を相対化する、大いなるパワーをもつはずだ。


その意味でも、今後そうした情報発信の主役となる子供たちを育成していく”先生”は、重要な存在である。



とまぁ、村の”先生”の重要性を書いてみたけど、でも、僕は何が好きって、それは”先生”のお宅での緩やかな時間の流れだ。


村人から多くの尊敬を集める人物というのは、やはり徳があり、穏やかで、そしてなにより謙虚なことが多い。

”先生”が、つたない僕のタイ語にもちゃんと耳を傾け、お話してくださる、そんな緩やかに流れる時間が、いやはや、至極なのである。




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昨日タイでは、ロイクラトン(灯篭流し)が実施された。

バナナの葉で作った灯篭を川に流すことで、川の精霊を祀り、水の恵みに対する感謝と、祈りをささげる。



「子供のころ、ロイクラトンやった?」

以前、同世代のイサーンの友人に聞いてみたことがある。

「やったなぁ。クラトン(灯篭)を家族皆で作ってさ。でも、綺麗に作れなかった記憶があるよ。」



「イサーンでロイクラトンをやるようになったのって、いつ頃かなぁ?」

「???ずっと昔だろ。そりゃあ」



「いや、ロイクラトンはもともとタイ中央部の慣習だよ。今は国民行事化しているから、イサーンでもやってるけどさ」

「そうかぁ、そういわれてみれば、6歳くらいに初めてやったような気がするから、その頃からイサーンでも始まったんじゃないか?」



「・・・・それは自分の記憶の始点であって、ロイクラトンがイサーンで始まった時じゃないだろうな」

「ハハハッ、ハハハッ」

なぜ爆笑かは不明だ。



「ロイクラトンがイサーンで行われるようになったのは、いつ頃だと思います?」

質問の矛先を友人のおふくろさんに切り替える。



「ロイクラトン?・・・そうねぇ。私が5~6歳くらいからやっている気がするなぁ。その頃じゃないの?」

親子である。



ここまできたら、「もしや?」と思い、友人の祖母に聞いてみる。お歳は82歳。

「そうねぇ。私が6歳くらいのときにやった記憶がするね。今みたいに大きな行列が出たり、式をやったりといったことはなかったけど。バナナの葉でクラトンを作って沼に流したよ」

やっぱり親子である。


だが、イサーンで始まった時が確定できない。こうなれば、曾婆さんに聞いてみたいが、存命ではないようだ。

残念である。



分かったことは、少なくとも75年ほど前には、ロイクラトンをイサーンの人は認識し、行っていたということ。

そして、親子は似る、ということに尽きる。



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