バンコク街角散歩。死体門(プラトゥー・ピー)跡。


<死体門からサオチンチャーを望む>



”プラトゥ・ピー”。

プラトゥとは扉や門を、ピーはお化けや幽霊、精霊なんかを意味する。

ということでプラトゥ・ピーは、”幽霊門”とか”死体門”とでも訳せようか。

そんな恐ろしい異名をもった門が、かつてバンコクにあった。

なぜ、そんな嫌なネーミングで呼ばれていたか。

それは、バンコクの旧市街に城壁があったころ、城内の死体を場外に運び出すのはこの門に限られていたことに由来している。

死体が通り抜ける門、ということで”死体門”なのだ。

だからその昔、コレラが流行して城内で多数の死者が出たときなんぞは、この門は悪い意味で、頻繁に利用されたという。

死体の行き先は、門を越えてすぐ左手にあるサケット寺。この寺は、当時火葬場として有名で、コレラのときには死体の山が境内に山積みにされたとか。

なんとも、恐ろしい・・・・


そんな、死体門に向かった。



鳥居のような形で有名なサオチンチャー(実はブランコの柱。詳細はコチラ)があるパムルン・ムアン通りを東へと進んで向かった。



パムルン・ムアン通りは、王宮からまっすぐ東に伸び、ラーマ1世通り、スクンピッド通りと名前を変えながら、果てはカンボジアの国境にまで行きつく。旧バンコクと外部を結ぶ重要な道なのだ。

そんな道を東に進んでいくと、まず目に付くのが仏具屋の数々だ。





建物は古めなものが多い。二階建ての屋根の高さも綺麗にそろっている。



これは、近代化を推し進めたラーマ5世が、シンガポールを手本にして、街の景観を整えたという歴史を今に伝えるものだ。家並みを統一することによって、近代化のシンボルを示したのである。

さて、そのまま東に進んでいくと、マハーチャイ道路の交差点に差し掛かる。

何の変哲も無い交差点。だが実はこの交差点付近がかつて死体門のあった地点である。

そう、今は何も残ってはいないのだ。

かつて、死体門という恐ろしい名前の門があったことを知っている人は、その周辺に住んでいる者か、あるいは相当な想像力を持った者に限られているのである。



ふと見ると、かつて死体門があったところに流れるバンランプーオンアン水路のほとりに恐ろしく古そうな家がある。

これはチャンスと、尋ねてみたが、誰もいなかった。

残念。


水路をこえた先には、遺体を焼却するサケット寺がある。

死体門とこの水路を越えて、当時、幾人もの人びとがあの世へと送られていった。



水路の水はとても汚いが、その分、花の綺麗さが際立つ。


参考
図説―バンコク歴史散歩 (都市散歩シリーズ)


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