田舎道を歩いていると、軒先に立つおっちゃんが、夜空をボーと眺めていた。

僕もつられて、空を眺める。

夜空には、数ある星の中で、ひときわ輝く星があった。

星を眺めるおっちゃんか。ロマンティストだねぇ。


「綺麗ですね。とくにあの星は、凄く光が強いですね」

「あれは、ダウ・パルハットだ」

ダウ・パルハット?

ダウは星だ。

パルハット・・・、たとえばワン(日)・パルハットならば、木曜日。

ということは・・・ああ、木星か。


「ええ?本当に?木星ってあんなに綺麗に見えるのですか?」

「ああ、そうだ。今日はダウ・パルハットが大接近する日なんだ。」

そう言って、チャーンビールを煽ったおっちゃんの言葉は自信にあふれている。

自信がある人間から発せられる言葉は、妙に説得力があり、おっちゃんの横顔からは知性さえにじみ出ている。


「へー」と思い、おっちゃんとともに、しばし木星を眺めていると、

「おとうさーん!どう?見える?」

家の中から聞こえるおばちゃんの声。

中を覗くと、家族でテレビを囲んでいる。テレビは、どうやら木星のニュースを伝えているようだ。

おっちゃんの自信はテレビニュースに裏づけされていたのかと思い、ふと、おっちゃんを見る。

「見えるぞ。綺麗だ」

チャーンビールを片手に、笑顔で家族に伝えている。

子供たちが外に走り出そうとしてきたところで、僕はその場をあとにした。


きっと、あれから家族の天体観測が始まったことだろう。

なんか、気分のいい夜だった。


そういえば、もうすぐ十五夜かぁ。


付記
ちなみに、調べてみたところ、19日は木星が再接近するとともに、木星のすぐ近くに天王星もあったらしい。さすがのおっちゃんも、そこまでは把握できなかったようだ、な。





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いやはや、ものすごく更新が滞ってしまった。

いろいろあって、ネットにまったく触れていない状況だったのだ。

特にここ数日は部屋に缶詰状態で、物を書く作業。起きてるときは、書いているのみ。

楽しみといえば3食のメシくらいだった。書きに集中しているときは、まったく体を動かさないくせに、なぜか妙に腹が減る。不思議なもんだ。



さて昨日、クーデターから4年、5月の赤服強制排除から4ヶ月という節目の日ということで、赤シャツが大規模な集会を開催した。

犠牲となった91人を追悼するために、ろうそくが点火されたり、1,000個の風船が空に放たれたりといった儀式が行われた。

ラーチャプラソン交差点は1万人規模で赤服が集まったようである。


僕は実際にその場に足を運んでいないが、テレビ映像で少し見た。

映像を見る限りでは、平和的で皆ワイワイと騒いでいた。

とはいえ、悲劇の起こった数ヶ月前のときだって、事件前の平和的な雰囲気は同じだった。にもかかわらず、突如として、あんな事件に発展したわけだ。

だから、今回だって油断はならない。


そんなとき、目に飛び込んできたのが、バタンと倒れる赤服の映像だ。

皆で倒れた赤服を担ぎ上げ、運ぶ。

「道をどけろ!撃たれた!」

思い起こさせる、4ヶ月前のシーン。


何かあったのか!?撃たれたの!?

と思い、テレビを見つめる。


しかし、よく見ると、倒れている赤服を運ぶ連中は、半笑い。一人のおばちゃんなんぞは、大爆笑だ。

運ばれている赤服も、しばらくして爆笑しながら、むくっと起き上がって皆とハイタッチをしながら、わいわい騒いでいる。


どうやら、4ヶ月前の惨劇を”模倣”していたのだ。

これによって、あの悲劇を忘れないように、というわけだろう。

まぁ、確かにあんな悲しいことは起こるべきではないし、それを忘却しないようにしようということで模倣するのは分かるが、なぜあんなにも爆笑なのか。

うーん。タイ人だな。

ただし、誤解しないで欲しいが、追悼する儀式自体は厳かに行われていた。

これも、またタイ人の一面である。


集会は目立った衝突も無く、平和的に終了した。なによりである。

この映像で訴えられるように、平和的が一番だからね。




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タイ東北部イサーン、ムクダハン県、とある寺。

ここの古い壁画がどうしても見たくて、トゥクトゥクを走らせ訪れた。



まずは、ムクダハンの街にて、トゥクトゥクを呼び止める。

「ここのお寺に行きたいんだけど」

住所の書いた紙を見せた。

「おーい。こりゃ、遠いな・・・・こんなところに行くのか・・・こりゃ遠いぞ。そうだな、往復で500バーツ(約1400円)ってとこか」

香取慎吾さんがグーと横に引っ張られてしまったような顔をした兄ちゃんが言った。(引っ張られなければ、香取さんばりに男前だったはずだ)


いや、いや。ありえない値段だ。

「それは高すぎでしょ。もうちょっと何とかならない?」

「いや、本当に遠いんだよ。ここは」

「どれくらい?」

半笑いでたずねた。ついつい疑ってしまう自分が情けない。

「40km以上はあるな」


大げさな。都心から日野へ、土方歳三先生の旧宅を見に行くんじゃないんだから・・・

しかし、そうは思いつつも、土方歳三先生の旧宅ばりに、どうしても行きたい寺だったので、

「往復300Bでどう?」

「うーん。寺で何をするんだ?時間かかるのか?」

「ある壁画が見たくて、まぁ、そんなに時間はかからないと思うよ。壁画を見るだけだから10~20分くらい、かな」

「壁画?タンブン(徳を積む行い)か?」

「まぁ、それもあるね。この寺には古くてご利益のある壁画があるんだ」

ご利益があるというのは、申し訳ないがあくまでも予想だった。

「そうか。じゃあ、分かった。特別だぞ」




特別な割には十分高い金額だろうと思いつつ、ふりしきる雨の中、トゥクトゥクに乗り込んだ。

疾走するトゥクトゥク。

飛ばす、飛ばす。時速60~80kmほど出ているようだ。半屋外形状のトゥクトゥクは、風をモロに受けるので、体感速度はすさまじい。




そして、約40分間、トゥクトゥクは田舎道を走り、無事寺に到着した。

どうやら、引っ張られた香取さんが言ったことは、決して大げさではなかったようだ。かなりそこは遠く、しかも小さな村の中にあった。

独りでバイクなどを借りたとしても、なかなか行き着くことはできなかったであろう。

ということで、引っ張られた香取さんを少しでも疑ったことが申し訳なくなってきた。(僕は意外と気にするタイプなのだ)



ま、それはさておき、僕はすぐに壁画のある仏堂へ足を踏み入れた。



「おお!」

つい、言葉が出てしまうくらい、仏像の周りに描かれた壁画は、圧巻だった。

なんともいえず神秘的な雰囲気が漂っていた。



とりあえず、仏像に敬意を払うと、すぐさま壁画を眺め、写真に収めはじめた。


また、近くにいた僧侶や物知りなおじさんにいろいろと教示を受けた。



そんなとき、ちらっと視界に入る、引っ張られた香取さん。明らかに暇そうだ。

時計に目をやると、とっくに30分が過ぎていた。10~20分と言い放った自分の虚偽性に気づく。

だが、僕は壁画に釘づけだった。申し訳ないがもう少し待ってもらうことにした。



壁画は100年近く前に描かれたもので、テーマはジャータカのヴェッサンダラ本生話(=布施太子本生)。慈悲深いウェートサンドンの布施に努めた一生の物語が、壁一面に描かれていた。



タイでは、ヴェッサンダラ本生話をテーマとした壁画はポピュラーといえるが、100年ほど前に描かれたものが、こんな片田舎で現存するのは貴重だ。

しかし、ところどころ、痛みがみられたのも事実。

このままいくと、いずれは朽ちるだろう。

そんな運命をもった遺産と向き合っているのである。感じること多々だ。



して、ふと、気づけば、なんだかんだで1時間以上が経過していた。そろそろ行くか。

恐る恐る、外で待つ、引っ張られた香取さんを見る。

明らかにイラついている。

彼の、”いい加減にしろ”というオーラは、どんなに鈍い人間でも気づくことができるだろう。



そこで、気の弱い僕は

「いやぁ、ごめんね。すっかり時間かかっちゃったね。行きましょうか。これでお互い、たくさんの徳が積めたね」

と、努めて明るく笑顔で語りかけた。徳がつめたという言葉を出せば、少しは彼の怒りも静まると考えた。

「そうだな」

特に笑顔もなく、彼はそう答えると、またトゥクトゥクを疾走させた。

苛立ちも手伝ってか、往路以上のスピードを彼は出した。



30分ほどで、最初に乗車した場所に到着すると、僕は300バーツとともに、気持ち程度のチップを渡して彼と別れた。

横に引っ張られてしまった香取さんは、当然だと言わんばかりにチップを受け取り、トゥクトゥクを走らせ、ガソリンスタンドへと消えていった。

香取さんにとってどうかは知らないが、僕にとっては価値ある遺産にじかに触れることができた最高の時間だった。



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今回の旅では何かと、バスでの話が付きまとう。

これは、ビエンチャンから、ラオス南部サワンナケートへのバスでのはなし。



ビエンチャンからルアンパバーンまでのバスは山間部を抜ける悪路で、しかも座席が異常に狭く、おかげで隣の中華系ラオス人との静かな格闘があったことは以前ブログで紹介した通りだ

ということで、南部スワンナケートへの出発に向けて、「今回こそは!」と意気込む。

意気揚々と、宿の近くにあったゲストハウス兼旅行会社に向かう。

店番をしていた兄ちゃんが、ボーと外を眺めて座っていた。



「サワンナケートに行きたいんだけど。VIPある?」

「普通のVIPと、寝台のVIPがあるよ」

値段は大体700バーツほどで、寝台のほうが少し高めだった。



「どちらでもいいけど、今日の夜、空きはあるの?」

すぐにバス会社に電話して調べる、ゲストハウスの兄ちゃん。

「寝ていくタイプしかないわ。それでもいい?」

寝ていくタイプ・・・

僕は、椅子が180度とまではいかなくても、150度くらいまで傾くタイプを想像した。

悪くない。いや、むしろいいじゃないか。

「いいよ。じゃあ、それを一枚」

20時発のサワンナケート行きバス。無事、予約を済ました。



「ところで、ラオス南部に向かう長距離バスのターミナルは、市内からけっこう離れているみたいだけど、ソンテウなんかで行くと、いくらかかる?」

「大丈夫、大丈夫。このゲストハウスの前に19時に来てくれれば、迎えが来るよ。もちろんフリーさ」

「おお、そいつはいい」

フリーの迎えがついて、150度、いやもしかしたら180度の傾きを可能とするシートに座って、南部スワンナケートの街へ向かう。

最高だ。



19時。

ゲストハウスの前で僕は、ぽつんとソンテウを待っていた。

朝、チケットを買ったときとは違う兄ちゃんが、ゲストハウスの店番をしていた。

でも、朝の兄ちゃんと同じように、ボーと外を眺めていた。



19時半。

まるっきりソンテウが来る気配はない。

「大丈夫か?確か20時発の長距離バスだが・・・」

「大丈夫、大丈夫。ぐるっと市内を回ってるから遅れてるんだろう。きっとここが迎え最後の地点さ」



19時45分。

プップー。こだまするクラクションの音。

兄ちゃんは僕のほうを見て、にやりと笑った。「どうだ」と言わんばかりに。



ソンテウに乗り込むと、西洋人の先客が3人いた。何故か幌を締め切っていて、風がまったく通らず、むし暑い。

それから市内をぐるぐると回りはじめた。

「どこが、最後だ。むしろ、最初ではないか」

市内をぐるぐる回っている段階で、20時はとっくに過ぎている。



乗り込んでくる、乗り込んでくる、西洋人。

体もさることながら、荷物もまた皆一様に巨大だ。

座る場所もままならない。足元は巨大なリュックの山。

それにしても、暑い。


20時15分。

ソンテウがやっと市内を抜けて、バス停に向かい始めたときには、狭いソンテウに十数人の西洋人と1人の日本人が詰め込まれていた。

風はまったく通らず、暑かった。



20時半。

ようやく、ソンテウは、バス停に到着した。

ここへ来て、なぜかそれまで涼しい顔をしていた運転手が突然焦りをみせる。

「早くバスに乗り込め!」

”お前ら、何をだらだらしていたんだ。時間はとうに過ぎてるんだぞ”と言わんばかりだ。

まったく意味が分からない。



慌しくバスへと向かわされる西洋人。しかし、僕だけ何故か待たされる。

「お前のバスは違う。こっちだ」

おっちゃんが先導する。

どうやら、寝ていくタイプのVIPに乗り込むのは僕だけだったようだ。

ほかの西洋人はタイのVIPバスになんら劣ることの無い、素敵なバスへと吸い込まれていった。


あの素敵なVIPよりも値の張る、寝ていくタイプのVIP。

期待が高まる。


「これだ」

おっちゃんが指差したバス。

フロントガラスが尋常ではないほど、ひび割れている。



明らかに事故した跡だ。

これから乗ろうというバスのフロントガラスのひび割れは、いやがうえにも恐怖感をあおる。



中に入る。

運転手が、”遅いぞ”的な目で僕をぎょろりと見つめた。いや、僕のせいで遅れた訳では・・・と思った矢先おっちゃんは言い放つ。

「靴を脱いで」

「へ?」

バスに乗るのに靴を脱ぐなんて・・・・いつまでも新車のシートをはずさず、靴も脱いで乗るという性格をむき出しにしたバス運転手なのか?



しかし、中を見て合点がいった。

二段ベッドが所狭しと並ぶ、いわばそこは宿舎なのだ。

宿舎に靴を履いて入るものはいないだろう。



「凄いことになっているな」と思いつつ、僕はそそくさと靴を脱いで、自分のベッドを探した。

一番後ろまで行くが、どこも人が寝ている。

???



「これどこ?」

チケットを運転手に見せる。

運転手が指差した先のベッド。

ラオスのおっちゃんが寝ている。そして、なぜか僕を見て、にやりとした。

「いや、いや、まさかこの狭いベッドで2人で寝るのか・・・」

どうやら、僕の寝ていくVIPバスの予想は大きくはずれたようだった。



見知らぬおっちゃんとあんなにも密接して眠るのは、生まれて初めての経験だった。

そして、これから先もそうは無いはずだろう。

8時間のバス移動の中で感じたあのおっちゃんのぬくもりを思い出すたびに、そう願う僕である。

     
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1975年まで続いたルアンパバーン王家。

王家のルアンパバーン支配にまつわる物語は、興味深い。



ある兄弟がいた。

二人はルアンパバーンのからメコンをさかのぼったところにあるタムティンという地の洞窟にて、ルアンパバーンの支配をめぐり、弓の争いをした。

とある岩に向けて弓を放ち、それにくっついた方が王になるというものだ。


ビュッ!

残念ながら、兄の矢は岩に届かなかった。


ビュッ!

弟は機転を利かせて、事前に弓の先に糊をつけておいたため、見事、岩にくっついた。


これにより、弟がルアンパバーンの初代王になり、その後、その子孫がルアンパバーンの王位を継いでいる、という。

で、兄のほうはといえば。彼は、ルアンパバーンから南西へ車で数時間はかかる山間の奥地カサックに住むことになった。今も兄の子孫がカサックに居住しているという。



また、こんな話もある。


ルアンパバーンの土地には、もともとカサックの人々が住んでいた。

そこに、ラオ人が侵入してきた。

ラオ人は争いに勝利してルアンパバーンに定住することになり、カサックの人々は山地であるカサックに追いやられた。

また、カサックの人々は新年の際、お祝いのためにルアンパバーンの王家のもとへ挨拶に来ることが義務付けらた、というのである。



二つの物語はいずれも、山地に住むカサックの人々に対するラオ人優位の正当性が語られているわけだ。


しかし、興味深いことに、なぜかカサックの人々は歴史的にラオの人々から忘れ去られることがない。

遠い奥地に住みつつも、上記のような物語を通じて、常にラオ人に意識されているのだ。


しかも、カサックの人々は、ルアンパバーンの王の儀礼において、非常に重要な役割を担ってきたのだという。

たとえば、1904年の、ルアンパバーン王家最後の王位継承の際には、カサックの長がやって来て、その重要な局面を担ったという。


王位即位式の儀礼の流れにしたがってその役割をみてみよう。



まず、新しく王につく者はルアンパバーンの対岸にあるロンクーン寺で8日間、白衣を身につけ、戒律を守って過ごす。

自戒の期間が終了すると、王位継承者は、王位につくべく、メコン川を渡りルアンパバーンへと入るのだが、途中、川の中州にて灌水儀礼が行われた。

その後、ルアンパバーンの岸に船は到着し、シェントン寺(古い王宮があったところ)に入るところで、2度目の灌水儀礼が実施された。

灌水儀礼を済ませた後、王位継承者はシェントン寺にて白衣から王の服に着替え、王宮へと向かう。

そして、王宮の前で、3度目の灌水儀礼が行われる。

王位継承者は宮殿に入り、僧侶の説法を聞き、玉座に座ることになるのだが、ここでカサックの登場である。

カサックの長が、王の装いをして、王位継承者より先に玉座に座るのだ。

カサックの長は、しばらく玉座に座る。

そして、突如、玉座を降りて、これからなる真の王に向かって言う。

「弟よ即位せよ!」

これにより新王が誕生するのである。



ここで分かるのは、戒律を守ってすごす期間を設けるという仏教的側面と、灌水儀礼というヒンドゥ教的側面が合わさって、王の即位式が行われている点であり、これは東南アジア上座部仏教圏では広く見られることだ。

しかし、カサックによって行われる、仮王の儀礼というのは珍しい。

カサックの長が”兄”として、”弟”の王位即位式を最終的には司るのである。

政治的象徴としてのラオの王と、儀礼的象徴としてのカサックの長の関係構造が浮き彫りになっているといえよう。

ラオ人によるルアンパバーンの支配の貫徹には、カサックの人々の儀礼的・呪術的な力が必要であり、だからこそ忘却することなく、今も語り継がれる物語がある、といえそうである。



当時、王の即位式において、新王が白衣から追うの服装へと着替えたシェントン寺は、今、多くの観光客を集める赴き深い寺となっている。



寺の入り口から伸びる階段は、メコン川へと続いており、この寺がルアンパバーンへの玄関口となっていたこと、そして川と儀礼が切っても切り離せないものであった歴史を忍ばせてくれる。




ボーとメコン川を眺めるのに最適な場所、である。



<参考>・田村克己・石井米雄「宗教と世界観」(『もっと知りたいラオス』)
     ・田村克己「ラオス、ルアン・パバーンの新年の儀礼と神話
      ―東南アジアの水と山」
     (松原孝俊・松村一男編『比較神話学の展望』青土社、1995年)








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