久しぶりにタイの生命保険CMを載せよう。

いつもいつも泣かされる、タイ生命保険CM。

今回は・・・・



ああ・・・やっぱだめだ。

なんたる映像の力。

しゃべることができない父の、娘にそそがれる沈黙の愛。

泣ける。



映像だけで十分に全てが伝わるし、僕の拙い言葉に訳すと映像の価値が失われてしまう気もするのだが、一応下に記しておこう。

深夜に、涙をふきつつ。


娘は言う。

「私は、もっといいお父さんが欲しい・・・」

「しゃべれないお父さんじゃなくて・・・」

「皆と同じようなお父さん・・・」

「私の言いたいことを聞いてくれて・・・」

「しゃべれるお父さん・・・私のことを分かってくれるお父さん・・・」



いじめられ、悩み、苦しむ娘。

ついには自殺という、間違った道を選ぶ。




物言えぬ父は”叫ぶ”。

俺の娘を死なせないでくれ!

お金はある!家だってある!それをすべてあげるから!

娘は死なせないでくれ!




父がずっとそそいできた沈黙なる愛。


もっと、もっといっぱい食べろよ。そうすりゃ、すくすくと大きくなるんだぞ。

しっかり勉強してこいよ〜

俺の娘はなぁ、必ず幸せになるんだぁ・・・




そして誕生日。

Happy Birthday

いっぱい幸せになるように...愛する娘へ...




父は静かに言う。

父さんはな、生まれつきしゃべれない

本当に、ごめんな・・・

父さんは、しゃべれない

ほかのみんなのお父さんのようには・・・

でもな。覚えておいて欲しいんだ

父さんはお前のことを一番に想っている・・・



瀕死の娘を前に、父は”叫ぶ”。

俺の血を使ってくれ!



父は娘の代わりに、静かに息を引き取った。

娘はそっと父親の手に触れた。



ナレーションは言う。

きっと一番の父親なんていやしない。

でも、父親はあなたを一番に想ってる。


見守る...あなたを想う...





やっぱりだめだ。

タイの生命保険CMにはいつも泣かされてしまう。

音楽も映像も、大いなる感動を与えてくれる。


それに実際、屋台や町工場なんかの低賃金労働に従事して子供に仕送りしている親、バンコクには沢山いて、よくその姿を見るもんだもんな。

なんか、そういう日常的光景ともダブってよけいに泣けてくるわけである。



とはいえ。

いくら感動させられるといえども、深夜に1人泣きながらブログをしたためる30過ぎの男の様はどうだろうかと、若干思わなくもない。




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ギンジェー。

「ギン」は“食べる”、「ジェー」は“精進料理”を意味する。

つまり、“精進料理を食す”という意味なわけで、毎年この時期行われる。

期間は約10日間。期間中は肉料理を一切口にせず、精進料理を食べ続けなくてはならない。






実のところ僕は去年、ギンジェーに初挑戦し、見事に成功をおさめている。

成功という栄光の軌跡を振り返ってみようと、去年のギンジェーに関する僕のツイッター(ryota5bkk)を読み返す。



10月8日
タイでは、今日からギンジェー(菜食週間)。今年は、初挑戦してみようかと。 ただ、肉類禁止と思うと、逆に、肉が食いたくなる。江古田の焼肉ハウスに行きたいなぁ・・・・これは、先が思いやられる。


タイ・ギンジェーに挑戦中。ギンジェー用の店が沢山あり便利でいいんだけど、どれもこれも脂っこい。体にいいのか、悪いのか・・・・・ギンジェーは10日間。いけるか不安。



10月11日
ギンジェー(菜食週間)4日目。意外に続いている。でも、焼肉も食べたくなる。



10月14日
ギンジェー(菜食週間)6日目。さすがにレシピに飽きてきた。 チムチュム(イサーン鍋)が食べたい。 無論、BUプレース前の店で。

@KazuhitoSato ギンジェー料理は本当に脂っこいですね。今もちょっと胸焼け気味です。”精神的に喜ばしくない”というのはおっしゃるとおりかと。 おそらく最初で最後のギンジェー、となりそうです。



10月16日
ギンジェー(菜食週間)最終日。最終日の気のゆるみだろうか、店がほとんどやっていない。タイだな。ということで、カオマンガイでも食べようか、真剣に迷ったけど、最後までやりきりたくなり、インスタントラーメン食い。逆に体に悪い気がしないでもない。



うーん・・・・

ギンジェーは本来、①動物を殺生しないことによる積徳、②菜食に徹することによる体の浄化、といった目的がある。

それにもかかわらず、僕のつぶやきはどうだろう。

焼肉が食いたいだの、チムチュム(イサーンなべ)が食いたいなど・・・

しかも江古田の焼肉ハウスやBUプレース前のチムチュムといった、妙にローカルな具体性も帯びている。


ギンジェー本来の目的に絡んだ、生産的で前向きな言葉がまるでみられない。

なんだか、がっかりだ。




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遺骨崇拝。

日本では根強い考えだろう。


もともと、仏教以前から山岳信仰を有していた古代の「日本」人。

11世紀頃から浄土教(死後の世界にもっとも深い内省を与える!)が一般的に浸透した。

で、その後、高野聖が全国を遊行して聖なるお山の高野山へ納骨を勧めてまわった。

で、簡単にいえばこんな感じの流れが。


山の上は神聖な場だ!
実は、山の上が浄土へとつながっていく!
そうか、それこそが神聖なる高野のお山だ!
じゃあ、そこに遺骨を納めれば成仏できるじゃないか!


とまぁ、あまりに単純化しすぎのきらいがあるが、こんな感じで、遺骨崇拝の基礎は築かれた。(本当に単純化し過ぎだが・・・)



でも、遺骨を保存しておくことに執着しない国も、もちろんある。

たとえば、インド。遺骨は川に流す。

インド人はガンジス川を崇拝し、遺骨を川に流せば魂は昇天する、と信じている。


アメリカなんかもかたちこそ違えど、遺骨に執着しない。

エンバーミングによって、遺体を防腐処理して土葬する。一時的にミイラ化させるわけで、遺骨よりも肉体に重点が置かれるのだ。



じゃあ、タイは?

この前もみたとおり、遺骨に対する崇拝意識は高い模様。

ソンクラーン(タイ正月)のときには、遺骨の供養を寺で行うという。

まぁ、残念ながらまだそれを生で見たことがないので、尋ねてみる。



「遺骨供養の儀礼の話を聞いたことがあるんだけど」

「ああ。ソンクラーンのときにたまにやっている家があるな。寺に集まって遺骨を供養するんだ」

「へぇ。遺骨への崇拝があるんだね。で、どれくらい前からやっている儀礼なの?」

「そりゃ、リョウタお前、古く昔からさ」

「昔?100年くらいかね?」

「いや、どうだろう。とにかくまぁ、昔さ」



よく村人に尋ねると返ってくる”昔”の言葉。

彼らの昔や時間感覚は、僕とは違うと思うので、ちょいと調べてみたところ、遺骨供養の始まりはラーマ1世の頃のようだ。

だからまぁ、200年くらい前か。


その頃の『新宮廷規定』(プララーチャ・ガムノット・マイ)は遺骨についてこう述べる。

荼毘に付された後の父母の遺骨は、つぼに入れ、布にくるみ、講堂に安置すること・・・


で、遺骨は講堂に放置するな!自分の家か、適当な場所に埋めろ!とも戒めている。



つまり、長く続いてきたような慣習や道徳、いうなら伝統ってやつは、昔から当たり前のように存在するものとして疑わないが、やはりどこかで「創られて」いるわけだ。

問題はなぜそれが「創られた」か。なぜ政治的に規定されなくてはならなかったか。

その回答を今のところ僕は持ち合わせていない。


ただ、ラーマ1世はその治世、古典文学「ラーマキエン」を完成させたり、薬用植物の手引書を編纂したり・・・といった感じで、非常に文化的側面の発展にも力を注いだ。

文化の発展に力を注ぐことで、新たな権力主体としての威光を高めようとしたのかもしれない。

だとすれば、ラーマ1世紀の葬儀に関する権力主体の介入も、そんな文化的政策の文脈で考えられるべき、かもね。



それにしても、つぼに入れて、布にくるみ・・・・って。この前見た葬儀そのままの態だ。






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「おばちゃん。ゲンジュート・トーフー(豆腐入りスープ)。持ち帰りでね~」

メシの持ち帰りは日常のタイ。それがスープだろうがラーメンだろうが関係ない。


こんな感じで、うまいこと包んでくれる。

袋の口をゴムで止めるときの手さばきなんて、まさに神業である。



先日、そんなタイのすばらしき技術を無駄に使った女性2人が、警察の咎を受けたとか。

服役する男への差し入れに、女性2人(服役中の男の嫁と母)が、豆腐入りスープやタイ風お菓子の液体に、大量の酒を混ぜて持ち込んだのだ。



2人が取調べを受ける空間は、こういっては難だが、どうも微笑ましい。

とりあえず袋を開けてみる刑務所職員。


ちょっと恐る恐るである。

匂いをかぐ。



これも恐る恐るだ。

もう1人も、嗅ぐ。



そして一言。

「うん。酒だ・・・」


・・・まぁ、そうだね。



確認がとれると、タイ人のお家芸”袋の口ゴムしばり”で、押収物をしまう。



タイ人は、誰でもうまくゴムでうまいことしばれるからすばらしい。


さて、事情を聞かれる嫁としゅうとめ。



「いったい、なぜなんだ・・・」

「以前の面会で主人がお酒を呑みたいと言ってまして・・・スープは透明だからバレないと思いまして・・・」


さすがに神妙な面持ち。

突然、嫁は電話をするが、神妙さは欠けていない。



この状況下で誰と何の話をしているかは問わないでおこう。

周りも、そこは気にしないようだ。

あくまでも神妙である。



さて、再度開けることに。

説明を追加


この風景はタイのどこでもみかける風景。ゴムをほどいて、器に移す。

見た目は普通のスープ。


でも無論、酒入り。

味見をする。(恐る恐る)


彼も。(恐る恐る)


ついでにしゅうとめも。




しゅうとめは最初、明らかに味見を拒否していたが、職員が「いいから、呑んでみな」と。

職員が執拗に味見を勧めた理由は不明である。

それにしゅうとめの味見の反応を伺う目が真剣すぎる理由もよくわからない。



どうやら、相当の味の模様だ。

ぼーぜんである。



終始、緊張感に欠けた取調べ光景。

今回の僕の記事自体も緊張感に欠けすぎていることは、自分が一番良く知っている。



※今回の使用画像は映像から落としたものです。



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「そこに行くのはやめておいたほうがいいぞ」



そんな表情で水牛が僕に歩み寄ってきた。



だが僕はそんな水牛の忠告を無視し、大きな好奇心を胸に抱いて村の守護霊が祀られる神聖な祠へと足を踏み入れた。

これまでイサーンやラオスで幾度となく村の祠を目にしてきたが、ここはなんとも神秘的な雰囲気に包まれていた。






ー村の守護霊が祀られる祠ー

イサーンの集落には必ず祠が建てられている。

祠で先祖や精霊を祀ることで、外部世界に潜む悪い霊から集落を守ってもらうためだ。


祠は村人の生活に深くかかわり、たとえば村長を決めるときや、村を離れて旅に出るとき、今年一年の降雨量と豊作を占うとき(儀礼の模様はコチラ)など、様々な場面で祠に伺いを立てる必要がある。

また、よそ者が村に入るときも祠に一言、お邪魔することを伝える必要があるともいう。



そこで、よそ者の僕も祠へ出向くことにしたわけだ。

ただ、この祠はあまりに森の奥過ぎて不気味だ。

僕に無理やり案内を頼まれたおばちゃんも、どこか神妙な面持ちでワーイ(タイ風の挨拶。手を合わせる)をしている。



なぜおばちゃんが背番号10を背負っているか、といったことは後で写真を見返して気づくことであって、このときばかりは雰囲気に呑まれて気にならなかった。

それほどまでに、妙な空気だったのである。

というかまぁ、実際のところ、あまりに森が深過ぎて蛇やらサソリやらが出てきそうというのが一番の恐怖心だったことは否めない。



まぁ、それはさておき、僕は祠にペコリとワーイをし、神聖な場所に足を踏み入れること、しかもそれを写真に収めさせてもらうこと、しかもしかもブログにまでアップさせてもらうであろうことの許しを乞うた。



タイ語で許しを乞うべきか、それとも日本語でもいいのか悩みはじめる。

日本語で語りかけるとすると、守護霊側からは「こいつ何言っちゃってんの?」ってなことになるのではないか?

やはりタイ語が無難であろう。発音のことは目をつむってもらう。


ん? というかここはイサーン。ラオ語のほうがいいのか?

となるとかなり厳しい。


いや、待てよ。あるいはここら辺はクメール系の人も多く混在しているからクメール語のほうがいいのか?

となるともうお手上げだ・・・・


神聖な守護霊を前に余計なことばかり考えてしまう自分が情けない。



さて、一通りのお詫びを守護霊に告げると(タイ語で!)、村祠の内部を見わたす。


虎にライオン。



奥には石仏が並べられている。



そういえば、イサーンで一般的な”肝喰いの霊(ピーポープ)”に関する映像を見ていたら、こんな感じで並べられる石仏の下に黒魔術の呪文が書かれた紙が隠されていたのを思い出した。

ここにもまさか・・・と思い、ちょっと見渡してみたが見当たらない。

石仏を動かしてみるほどの大胆さ、ワイルドさ、いやというかガサツさは持ち合わせていない。

あくまでも、神聖な場だ。

というよりも石仏を動かして、わけのわからない、妙に足の長い虫とかがでたら怖すぎる。




「リョウタ。早く行こう。もういいでしょ」

おばちゃんに急かされてしまった。どうやら怖いらしい。

僕は夢中になると他人が待っていることを忘れてしまいがちなので、(グーンと引っ張られてしまった香取慎吾氏風トゥクトゥクの運転手の件しかり!)ここはそそくさと引き下がることにする。



多少ひかれる後ろ髪。

だが、祠を後にし、ちょっと進むと妙に馬鹿でかい羽音が近づいてきた。

「ハチだよ、リョウタ。気をつけな。これに刺されると相当痛いし、しばらく腫れがひかないよ」

おばちゃんは、なぜか笑顔だ。

さっきまで祠を前にして引きつっていたくせに。



僕は霊がどうこうより、ハチや虫の類のほうがよっぽど怖いことは、これまでの話の流れでおわかり頂けるであろう。

無我夢中で森を抜け出し入り口付近にいた、祠の番人水牛のほうへ向かった。



森を出て、どうやら難を逃れたようなので、ゆっくりと息を整える。

おばちゃんが半笑いで僕を見ている。「虫ごときで・・・」と見下しているようだ。

自分だってさっき、祠の場面でおどおどしていたくせにぃ。


しかし、ふと思う。

もしあのまま、祠を必死に見続けていたら、神聖な場に長々と居座った僕への罰として、ハチの洗礼を受けていたかもしれない・・・

守護霊の怒りをかう前に退散したイサーンおばちゃんのタイミングの計り方は絶妙に過ぎたといえよう。





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