タイの寺院・仏像はとかくきらびやかなものが多い。

そこから日本的な趣を感じ取るには、相当の感受性が要求されるように思う。





僕は寺に趣や静寂を求め、派手さを好まないほうだ。

京都でいえば、金閣寺よりも正伝寺!ってわけだ。







ということで、タイの寺院は僕にとって鑑賞対象からは遠い存在にあたる。



だが、寺院遺跡となると話は別である。



先日鑑賞した東北タイ一のピマーイ遺跡。






その主室は趣深かった。




なんとも質素。

でも美しい。

静寂に包まれた空間は、どことなく”わび”を感じさせる。

オリジナルの仏像は博物館に保管され、目の前のものはコピーらしいのだが、それでも感じるわび。

なぜだろうか。



そもそもわびを備えたモノというのは、負けたことのある人間にしか生み出せないといわれる。

遁世なんかで世俗から距離を置かざる得なくなった”敗者”の手によってこそ、わびの雰囲気をもつモノが生まれる。

わびには、世俗の社会にて勝ち得なかった”敗者”による人生の開きなおりの美意識みたいなものが潜んでいるのである。



だとすると、ピマーイ遺跡で(あくまでも勝手にだが)感じるわびはなぜだろう。

それは寺院のもつ忘却された歴史に求められるような気がする。




かつてクメール帝国は隆盛を極め、その影響力は絶大だった。

ピマーイもその重要地域の一つである。

しかし、栄枯盛衰は歴史の常。

クメールは15世紀前半には滅亡する。

それにともないピマーイ寺院もジャングルの中に埋もれ、次第に人びとから忘れられる存在となった。

その後20世紀初めに発見されるまで、世俗からその存在が消され忘却された期間は数百年。

その期間が、寺院に独特の”敗者”性を帯びさせたのではなかろうか。




今、遺跡を前にして感じる独特なわびの感情。

それは、文明の滅亡と人びとからの長い忘却を経験した、”敗者”的なクメール文化のまるで居直ったような美学が、圧倒的に僕に迫ってきているからのような気がしてならないのである。








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イサーンの村の小さな市場。

彼女の小気味好い手さばきに、すっかり魅了されてしまったよ。





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「リョウタ〜。買い物するけど何か食べたいものあるかーい?」

朝、7時前。

顔を洗っていると、村人から声をかけられた。



イサーンの朝は妙に早く、そして騒がしい。

日の出少し前に鶏がコケー・コッコッコ・コケーとざわつき始め、盛大なコッケコッコー!の鳴き声とともに日が昇る。

明るくなり始めると村人もワサワサと行動し始める。

それにつられて犬やら猫やらも歩く。


村によっては、大音量で村内放送みたいのが流れ始める。

道行く往来者もどんどん増え、皆が「おう!」てな感じで一日の始まりを迎える。


おもちゃ箱のようにガチャガチャと動き始める村。

休日だから10時まで寝る…なんてことは、よほどの睡眠の深さと図太さがなければできないだろう。




さて、買い物のことである。

こんな朝から買い物?なんて思いながら村人の声する玄関へと向う。

なるほど、バイク商店だ。




「何か食べたいものがあったら買いな」






おかずに野菜、お菓子、果物…ありとあらゆるものがバイクに積み込まれている。

前日の夜に飲み過ぎてあまり食欲が無かった僕は、好物の茹でたピーナッツだけを購入。

これは一度食べようものなら、それが全てなくなるまで殻を剥き続ける運命に陥ること必至の、魔の食べ物だ。

あまりに美味くて、タイでは毎日のように食すのである。




さて、みなで朝食の準備。



焼き鳥に焼き魚、イサーンのスープ、そして僕の大好きな茹でたピーナッツ。あとは昆虫揚げか。

うん?

普通に朝から昆虫揚げか〜。

まぁ、昆虫は夜だったらOKというわけではないが、それでも朝から普通に並ばれると、なかなかパンチの効いたビジュアルになる。



村人たちは昆虫の足をもいで、カオニアオ(餅米)と一緒に食している。

笑顔だ。




「足をもぐのはなぜ?」

「そりゃあ、喉にささるのが怖いからだ。痛そうだろ」

どうやら足は固いようで、変にナイーブな一面を見せている。



イサーンの村にいると「へんなところナイーブだね」って思うことがある。

日中暑〜い中で半日放置されていたおかずを平気で食うのに、冷蔵庫の中の食品の賞味期限を調べていたりする。

食前に洗ってない感丸出しの手で、手つかみで食事をするのに、野菜は妙に奇麗に洗ったりする。


まぁ、これは長年培ってきた生活からの経験知に基づくものだろうし、そしてもちろん各家によって違うだろう。

でも、「そこはいいだろ」って言いたくなるようなシーンをみることが時々あるのだ。




ま、それはさておき、屋外で朝食を食いながら道行く人と挨拶かわして、道行く人の中には朝食に混ざってきたりして…

そんな人と人とのつながりが当たり前で自然な光景を見ていると、なんだか妙に落ち着くものである。



やはりイサーンは、朝と夕方がいい。







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イサーンの村。 

田んぼには何かと危険が存在していることは、前回とりあげた牛との大格闘を見てもお分かりいただけたはずだ。

でも村のあらゆる所は、子供たちにとって格好の遊び場でもある。



夕方になると、学校から帰った子供たちがどこからともなく、僕がお世話になっている家に集まってくる。

「ね〜、田んぼに行こうよ」

誘われるがままに僕は田んぼに出る。




薄暗くなってきた道を、先行く子供たち。



ワイワイ・ガヤガヤ。そして爆笑。

なにもかもが楽しいお年頃だ。



「これで虫をとるんだよ。それで虫は売れるんだよ」




一人の子が説明してくれた。


なるほど。

光に虫が集まってきて、下に設置された水たまりに落ちるというシステムのようだ。

虫は食用だろう。以前、食卓に並んだ虫ドンブリに目を見張ったことがある。



薄暗くなってきていたので、だいぶ虫が集まり始めている。

虫が大の苦手な僕は、すぐにその場から離れるよう子供たちに促した。



「あれ?リョウタ兄ちゃん。もしかして虫が怖いの〜?キャッキャッ・・・」

子供たちが茶化し始めた。



「ほら、リョウタ兄ちゃん。あげる」

見るとなんだかわけの分からない虫を握っている。



「わー!!!」

年甲斐も無く叫んで後ずさる僕。

笑う子たち。

非常に悔しいが、苦手なものは苦手だ。



そんな感じでしばらく歩いていると、右手に村の祠が見えてきた。

ピー(精霊)が宿っていると固く信じられている村の祠。

それは大の大人も畏怖する存在。子供たちが怖がらないはずがない。

案の定、子供たちは妙に静かになり、落ち着かない様子だ。



”よし、ここはイッチョ”

そう思い、僕は突然もと来た道をダッシュしてみた。

30をとうに過ぎた中年日本人男性のイサーンでのダッシュ。

そりゃあもう、ハーハーである。



「ワー。待って〜」

僕の後についてくる子供たちは必死。

ついでに、ビーサンで走る足がもつれそうになるのをおさえるのにこっちも必死。

虫を使って中年を怖がらせたお返しを試みたにしては、こっちにとってもあまりに過酷だった。



でも強がって言ってみる。

「どうしたの〜怖いの〜?」

大人げない中年とイサーンの子たちは田んぼで大騒ぎだ。





家に戻ったら、すっかりご飯の支度が整っていた。

「どこほっつき歩いてたの!?ほら、ご飯だから、シャワー浴びといで!」

子供たちが親から小言を言われている。

夕食前の光景はどこの国も変わらない。



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イサーンの村をフラフラと歩くのが好きだ。



街歩きも好きだが、村もまた違った魅力があるのである。



ただし、危険も多い。

蛇やらサソリやら、昔ならトラやらってね。



先日、細い道を歩いていると、真っ向に立ちはだかって行く手を塞ぐ水牛に出くわした。



水牛は基本的におとなしいので問題はないハズ。



しかし、あの立派な角。

あれで襲われれば、僕の内蔵がえぐられるにあまりある。



それに道が狭い。

こっちとしてはソッと横を通っているつもりでも、向こうにとっては多いに刺激的で、逆上する可能性がある。



イサーンのだだっ広い田んぼの真ん中で、日本人が1人、逆上し突進してきた牛の角を押さえつけている姿は、あまりに意味が分からないだろう。

危険を通り越してそれは滑稽な姿だ。



ということで、僕の希望としては水牛が僕の心を察し、道から田んぼへ下りてくれること、それにつきた。

お互い、無益な血は流したくない。



ゆっくりとにじりよって、両者の差を縮めていく。





あくまでも「水牛よ。お前に興味が有るんじゃない。俺は道を通るだけだ」という雰囲気を演出する。

だが、近寄る日本人に、異常な警戒心をもって水牛は逃げて行く。





いつまでたっても縮まることの無い差。

ゆっくりと進む水牛にあとから続く僕の姿は、ある意味”水牛使い”である。



「落ち着け、水牛。通るだけだから」

タイ語でそうつぶやいてみる。

本来であれば、イサーン語じゃなくてはだめかもしれないが、そんなことは言ってられなかった。



すると、その言葉の甲斐あってか、水牛が田んぼの方に頭をもたげ、下りようとした。

「よし、チャンス」と一気に水牛を抜去ろうとした。



勝機を逃してはいけないのだ。



だが、結果として、これがまずかったようである。

水牛が突然、クルリと向きを変えたのだ。



こうなると、僕の頭に浮かぶのは闘牛士。

目の前の水牛は僕のほうに鼻息あらく突進してくるに違いない。

彼の後ろ脚はすでに地面を蹴っているのだ。(イメージ)




だが、あいにく僕はスパニッシュな闘争心を持ち合わせていない。

ダッシュで後ずさりする。



ハーハー言っちゃってる自分がなんとも情けない。



水牛から一定度の距離を置くと、結局別ルートで行く決心をした。


まったくもっての完敗。




「よっしゃ、今日はこのくらいにしといたるわ」

新喜劇・池野めだか氏の常套句の素晴らしさを知った。





村は危険も多いのである。


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大震災から一年。



僕はあのとき、ラオスの村々をバイクで走っていた。

のんびりとした村々を前にして、まさかあんな悲惨なことが起こっていたなんて夢にも思っていなかった。



あの日の夜、屋台で飯を食ってたら、たくさんのラオス人たちが真っ暗な夜道に浮かぶ、小さなテレビの光の前に群がっていた。

映し出されていた映像はすさまじかった。



「ツナミだ、ツナミ・・・」

皆、驚愕していた。



僕は信じられなかった。



あれから今日まで。

行く先々で出会ったタイやラオスの人たちから日本を、そして僕の家族・友達を思う言葉を頂いた。

皆、ひどく心配していた。

そして応援もしてくれた。





「日本、頑張れ」って。

「日本は皆が協力し合う、凄い国だ。きっと立ち直るさ」って。






悲しいことやつらいこともバーンって吹き飛ばしちゃうような、そんな感じがする彼らの笑顔。



日本、そして被災された方々はまだまだ過酷な状況下にある。

でも、遠い異国の地でたくさんの人が僕らのことを思ってくれている。

そのことも僕は忘れない。




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