料理を空中に飛ばしてみよう。
そんな発想、僕にはない。
だから、そんな扱いをうける料理もなかなか考えつかない。
パッと浮かぶのは、ピザ生地。
生地を空中に飛ばしながら、伸ばしていく。
実しやかに語られるのは、空中に飛ばすことで、生地の中の空気の粒をつぶすことなく、均一に生地内に拡げていくらしい。
ふっくらピザを目指して。
あと、飛ぶもの…
ナン。
昔、エアーインディアに乗った時、窓際に座る僕に、CAがナンを投げて渡した。
トリッキー、かつ合理的なCAのサービスに驚かされたものである。
でも、それ以外になかなかない。
タイの空心菜炒めをおいては。
タイ国内で、空心菜炒めを空中に飛ばす屋台の一つとして有名なのは、ピッサヌローク県市内にある。
夜9時過ぎ、宿にチェックインして荷物を下ろすと、僕は急いで車を屋台に走らせた。
時間が時間だけに、営業しているかどうか気になるところだ。
ナンバープレートが紙製の車(そのため検問を受けた経緯はコチラ)のアクセルを強く踏み込んだ。
颯爽と川沿いのナイトマーケットに車を停め、その辺りの人に空心菜炒め舞が行われている屋台の場所を、それとなく聞く。
どうやら場所は近い。
足早に向ってみる。
マーケットの誘惑と戦いつつ、空心菜舞の屋台に到着した。
あまりに閑散。
発射台的なものもあるが、あまりに薄暗い。
終わってしまったのか?と思い、店主らしいおっちゃんに声をかける。
「いや、やっとるで」
おっちゃんに言われる。
「じゃあ、空心菜炒めをよろしく」
「OK」
慣れた手つきでおっちゃんは空心菜炒めを作り始める。
燃え盛る炎。
あれほど閑散としていた屋台には、いつの間にか西洋人が集まってきている。
Oh〜、Oh〜 言ってる。
パフォーマンス性が高い。
空心菜をさっと炒めると、おっちゃんはスタスタと歩き、受け台を背にしてシャッと空心菜を投げた。
躊躇のない投げっぷり。
空を舞う空心菜。
空心菜という文字通り、一瞬そらごころの態を見せる野菜。
夜空には、偽りの心が映し出される。
自分で書いていても意味がよく分からないが、そうだ。
夜空は空心菜にとって、偽りの場であり、そぐわぬ場なのだ。
だからこそ、空心菜は自身の場を求めて飛んで行く。
待ち構える店員のお皿の上にペチャリ、と。
皿の上こそが空心菜の本当の場なのだ。
そらごころ舞うパフォーマンスに、西洋人はoh oh!言う。
さらに、好奇心旺盛な西洋人は空心菜の受けにも挑戦。
ちょっと緊張していたようだが、彼は見事にキャッチした。
それは、当然であろう。
空心菜が求める場は彼の手元の皿なのだから。
空心菜自ら、皿に向うのだ。
だから、もし西洋人が自分でキャッチしたと思っているようなら、まだまだだな。
空心菜の心を感じ取れば、自ずと手元にやってくる、という発想が大事だろう。
キャッチの極意。
それは居心地のいい皿を、夜空舞う空心菜に見せて待つことに他ならないのである。
さて、そんな極意を発見した僕だが、キャッチには挑戦しなかった。
この極意の信憑性を、誰よりも疑っているからに他ならない。
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空心菜の空中飛ばしてあちこちでやってるんですねー、知らなかった。
返信削除空中に放り投げるという発想がすごいなー(笑)。
しかも観光客もキャッチできるなんて・・。
しくじれば大参事になりそうなので私は遠慮しますけど(笑)。
それにしてもビールに合うんですよねぇ~、私も大好きです。
pimaiさん
返信削除本当、発想がすごい。きっと空心菜の心もちをご存知の方が多いのでしょうね。
ま、僕は心持ちは分かっても、やりませんでしたけどね。
phimaiさんのおっしゃるとおり、大惨事が恐ろしい、もんで。笑