ルーイ県。

イサーンなのに北部っぽさ満点の県。



山々に囲まれたその自然景観が、タイ北部っぽさをかもし出しているのだろう。



先日、ルーイ県のとある町からフラリと車で向かってみたタイーラオスの国境ターリー郡までの道のりは、それはもう山々の連続だった。 

途中こんな具合に、直線に過ぎる坂道もある。



ブレーキの故障が発生しないことを切に願う。



写真を撮る僕の横を、地元のおっちゃんが通った。

どうみても綺麗とは言いがたい。



でも、農作業のために、毎日毎日この坂道を歩んでいるのだろう。

いや、もしかしたらチウおじいさんばりに、奥さんとの約束を果たすべく丘へと向かっているのかもしれない。

もちろん勝手な想像だが、そんな風に考えると不思議な何かを背中に見る思いである。



それはさておき、目的のターリー郡。

着いてみれば驚くほど何もない。

ぽつんとタイーラオスの国境のゲートが立っている。




「軽く向こうへ行っていい?」

ゲートのおっちゃんに尋ねてみる。

「いいけど5時までには戻ってこいよ」

小学生の子を持つ親のような回答だ。

国境云々の問題ではなく、時間が問題なのである。



ということで、急いで見に行ってみる。

何しろもう16時半だ。



・・・・何もない。



褐色の川がゆったりと流れているだけだ。

人が行きかう昼間に来るべき場所だったのかもしれない。

そんなことを考えながら、ボーと褐色を眺める。



17時まで十分の余裕を残し、ゲートを後にする。

途中ふと、「もしかしたらもうここには来ないかも」と思い、再度ゲートを振り返り見ておく。



ルアンパバーンまで363km」の文字。

ここはルアンパバーンまで続く道。



そういえばルーイ県は、かつてアユタヤー国とランサーン国の国境的な場として認識されていた地域である。

そんな歴史的に育まれた地域性や認識が、ルアンパバーン363kmの文字に凝縮されているような、そんな気がした。




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「リョウタ兄ちゃん、水牛見に行こう!」 


久しぶりの村の訪問で僕が大人たちと話をしていると、決まって歩み寄ってくる女の子はいつも、僕をこう誘う。

女の子は村の近況を案内してくれる、僕にとっての小さな先生である。



2人でぶらぶらと歩いていくと、さっそく水牛が僕らを出迎えた。


ニッとした表情が小憎たらしい。が、かわいい。

水牛を見て年甲斐もなくキャッキャッとはしゃぐ僕に、先生は「次行くよ」の一言。


水牛を見に行くと言ったわりには、ぜんぜん鑑賞しないもんである。

先生はぐんぐん歩いていく。



ちらほらいる水牛たちが、のどかなイサーンを演出してくれる。



おや、犬。




「おー俺に寄ってきたか、どうした、どうした」と熱烈に歓迎したらそっぽを向かれた。



分からないものである。



さて先生は、自身が通う学校へと入り込んだ。




「どうだい?学校は。楽しいかい?テストはいい点とってるかい?」

子供が苦手なわりに、なかなか頑張って質問をする僕。

「テストは、まぁ、普通。あ、でもこの前、だいたい百点とったよ」

だいたい百点の意味は良く分からないが、深く追求しないでおこう。



そうこうしていると、学校の裏へと先生はまわりこむ。


「ほら、あそこ」

 見るとアヒルの大群。



「この前、子供が生まれたんだよ」

 へぇーなどと思っていると、気づけば先生の飼い犬も横にいた。

彼女も先生に従ってきたらしい。




一緒になってアヒルを見つめている。



3人でぶらぶら歩きながらいろいろと話す。



「ちょっと待って」

もうすぐ家かというところで、突然先生は長いさおを取って、木をいじる。



「この実が美味しいんだよ。リョウタ兄ちゃんに食べさせてあげるよ」

先生は必死に実を取ろうとしてくれている。



さぞや美味いのだろう。

表情が物語っている。


ポトポトと実が地面に落下した。

「はい、どうぞ」

満面の笑みで渡された。


口の中に放り込む。

「ぐえー」

その場で吐き出した。

恐ろしいほどの渋み。



先生はキャッキャッと笑いながら部屋へと走っていった。

久しぶりの村。先生がいたずら娘だったことをすっかり忘れていた。



犬は疲れて眠りこんでいた。



ちなみに、イサーンには大きな先生もいる。それはコチラ





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「余ったから持ってきちゃった・・・」




という量じゃないだろ。



イサーンの小学生の女の子が、学校からどっさりと持ってきた牛乳。

今、日本の給食に出てくる牛乳はビンかパックか知らないけど、ここまで持ってくる奴はそういないはずだ。

これほどの量を抱えてきた女の子は、どこか誇らしげである。



「リョウタ兄ちゃんも一本どうぞ」

僕に勲章の一本を分けてくれた。

牛乳が苦手な僕は気持ちだけもらっておいた。




なかなか可愛らしいパッケージ。

ところでなぜイサーンも学校で牛乳を飲むのだ?


タイでは給食は一般的ではない。基本、弁当かあるいは買い食いである。

でも牛乳はタダで配られるらしい。



「体にいいからだよ」

小学生の子は答えた。



ついでに同世代の連中にも聞いてみた。

「確かに牛乳だけは配られたな。

え、なぜって?

そりゃあ、お前、体にいいからだよ」


根強い健康説。

確かに、健康にいいという理由でもなければ、ソムタム(パパイヤサラダ)やラープ(ひき肉の辛口サラダ)といったイサーン料理に牛乳はなかなか合わせないだろう。まぁ、学校でそれらを食うかどうかはしらないが。





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「知人の葬儀があるから、リョウタも行くか?」

先日、タイ・イサーンの村のおっちゃんに誘われた。


話によると、もうご遺体は荼毘に付されたあとで、これから納骨の儀式が行われるという。

こりゃあ、見てみたい。



おっちゃんとバイクを併走し、寺に向かう。

イサーンの田舎道。バイクで走るのは、いつだって爽快だ。



寺に着くと、おっちゃんは「ほら、あそこ」と指差した。

見ると、人が横たわっている。



ドキリとする。

この地域ではこれくらいの半焼けの状態で火葬が終了なのか。

だが、おっちゃんによると、あれは荼毘に付したときに出た灰を人型にしたものであり、中に故人の骨が混ざっているのだと言う。

考えてみれば当然のことだが、それでもホッとする。



色々なおっちゃんたちが、動き出した。

どうやら、儀式の始まりのようだ。



まず人型の周りに糸が張られ、結界が作られた。


四方の蝋燭にうまいこと糸を張っていく。



で、結界が張られると、今度は人型に布がかぶせられる。


布の上には葉が置かれる。



おっちゃんによると、後に皆で葉の上に灰から選った遺骨をのせるのだという。


さて、次は僧侶の出番。

先の結界を張った糸の延長が、僧侶に渡され読経が行われた。



読経による徳が糸を通じてご遺体へと転送されていく。

故人の冥福が祈られる。



読経が済むと人型の周りに張られていた結界は外されて、僧侶は人型を崩しはじめた。


灰の中から遺骨を取り出す僧侶。




遺骨は葉の上に載せられた。




僧侶に続き、葬儀に参列していた遺族や地域住民皆で、遺骨を探し出す。


あまり悲しいムードではない。

まるで宝探しのように、大人も子供も灰の中を探る。

「コレは骨じゃないよ~単なる石だよ~」なんといった、日常ではあまり聴かない台詞も聞こえてくる。



僕も灰の中を恐る恐る探り、2,3の遺骨を葉の上に置いた。数日前まで生きていた人間の骨を手に取るのは奇妙な感じである。たとえ、見ず知らずの人のものとはいえども、だ。


骨が集められると、今度は骨洗い。まずは僧侶が聖水を振り掛けた。




そのあと参列者が続く。



これも、どちらかというとワイワイしている。


皆が骨への聖水かけを終えると、いよいよ骨は骨壷に収められる。


骨壷がまばゆい光を放っている。



骨壷は厳重に布に巻かれ、



再度僧侶の読経が始まる。



先において骨が洗われた場所には線香が焚かれ、清められる。



こうして、故人の納骨が無事に終わる。



読経が静かに流れていた。

故人はこれからゆっくりと、長い時間過ごした自らの土地で深い眠りにつくのである。




タイ人の骨に関する話は次回に譲ろう。






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