いやはや。なんともブログ更新が滞ってしまった。こんなに放置してしまったのは、ブログを開始して初。

今年こそはほぼ毎日書くぞ!と意気込んだのに、全く実行される気配もなく、早くも12月も中旬。

いやはや、困ったもんです。


さて、12月ということでバンコクの街はすっかりクリスマスムードの高揚。



たくさんの人たちが、大きな買い物袋をぶら下げて、ツリーを眺める。



「お父さん、綺麗だね」

「ああ。綺麗だなぁ」

女の子と父親がボーとツリーを眺めている。


「ツリーと一緒に写真撮ってよ」

「ああ、いいぞ」

小さな女の子は繋いでいた父親の手を離して、ツリーの下に駆けていった。



クリスマスツリーを前にしては、まぁ普通の光景。

なんとも幸せそう。

でも、最近少し過ごしやすくなっているとはいえども、一応は夏の気温。

僕は汗をぬぐった。



真夏のクリスマスツリー。

教会で賛美歌…なんてムードではない。

でも、それはそれで、悪くはない。




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久しぶりにタイ生命保険の新しいCMをアップしておきたい。

いつもホロリと泣かせるCM。

今回は「ずっと君のそばで守り続けるดูแลคุณตลอดไป」編だ。






アルツハイマーに侵された妻。

妻は夫の存在を覚えてはいない。

でも、そんな妻を日々面倒見続ける夫は、妻の好みすべてを知っている。



「あなたは花を愛し、青を好む。

靴のサイズは6。

寒がりで、そのくせ冷たい水を好む。

辛いカレーが好きだけど、マメは取り除く。

そして、食事時は必ずこの歌を聞くんだ・・・



自然を愛し、笑い上戸。

きちんとしていて、掃除も行き届く。


あなたはおもしろい人。

小言ばかり言っていて、ちょっとしたジョークでもカッとなる。



…そして、アルツハイマーにあなたは侵された」




「あなたは7月6日に僕と結婚したんだよ。

僕は今でも覚えている。

あの日、あなたに伝えたあの言葉、約束したあの言葉を。



”ずっと君のそばで守り続ける”・・・」




「誰だい?

・・・・

散歩?

疲れないの?」



そんな妻の言葉に、夫は笑って言う。

「うん。ちっとも」



いつもタイ生命保険のCMを紹介しようと文章に起こすたび、涙がこぼれてしまう。

くやしいが、いつもだ。





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タイ北部の山間部、メーサローン。




朝7時、ブラブラと街を歩いてみる。




行き交う人々は畑仕事に向うようだ。


そんななか、子供達がワイワイと同じ方向に歩いていく。





これは学校に向っているに違いないな、そう思い彼らについていく。



子供達が向った先は何の変哲もない建物。

ここでスクールバス的なものでも待つのか。

いや、よく見ると上の方に教会があるので、そこに来たのか。

そんな風に思いながら建物を通り過ぎる。



…完全な思い違いだった。

これが、学校だった。





到着した生徒は自分で椅子を机からおろして着席しているようだ。




それにしても、これだけのオープン性だと、なかなか授業に集中できないかもなぁ。

いやむしろ逆で、常に道行く人々から丸見えということで、授業参観的緊張感を保てるか?

そんなどうでもいいことをあれこれ思っていると、横からワンワンと吠えられた。

あまりに突然のことでビクッとなった僕は、道行く子供達にキャッキャと笑われてしまった。





雌ライオンみたいな犬だな、しかし。




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「リョウタさん。どういうやり方かよくわらからないから、教えてください。

できるだけ早く覚えたいんです。

今後タイ人のスタッフが増えたときに備えて、教えられるようにしないと…」



41歳のタイ人のおっちゃんが僕に熱く語った。



僕はこのごろ、バンコクで日本人が立ち上げたベンチャー企業のお手伝いをさせてもらっている。

そこに新しい社員として入ってきたおっちゃん。

はやく自分なりに仕事を覚えようと必死なのだ。




おっちゃんは仕事場から歩いて数分のところで奥さんと二人暮らしをしている。

子供はまだいない。



おっちゃんは、10年ほど前に地方からバンコクに出てきたという。

「田舎より、バンコクのほうが仕事があるから…

兄弟もバンコクに出てきています。時々会ってご飯を食べるかなぁ…

でも、最近はお互い忙しいからね。仕方ないよ…」



おっちゃんはこれまでバンコクで配送関連の仕事をしてきた。

でも給料があまりよくなかったようで、今回親戚のツテを使って、このベンチャー企業に入ってきたという。



先日おっちゃんの歓迎会が行われた。

「乾杯~。ようこそ○○さん」

照れくさそうにおっちゃんは乾杯した。

クイっと水を飲む。

「あれ?お酒飲むって言ってませんでしたっけ?」

「はい。お酒は飲めます。でも、今は安居中だから。オークパンサー(出安居)までは呑まないんです」

仏教を深く信仰し、実践している。

おっちゃんはニコニコしながら、元気一杯のタイ人スタッフの女の子達の会話を聞いていた。

僕は相変わらず泥酔した。



ある日、僕が会社でのお手伝いを終えて帰ろうとするとき、遠くから自転車をゆっくりとこぐおっちゃんとすれ違った。

「ご飯を買ってきたんです」

「ああ、これから奥さんとご飯ですね」

「はい。それにしても今日は暑かったし疲れました。明日に備えてメシ食べたら早く寝ないと…それではまた明日」

ニッコリしながらそう言って、おっちゃんは家へと向かった。



最近のバンコクをみてると消費社会が進み、街はめまぐるしい勢いで変化していることを感じる。

そんな中で、日本人の立ち上げたベンチャー企業で新しい仕事にたずさわることになったおっちゃん。

その後姿は心なしか、これから始まる生活にワクワクしているように見えた。



おっちゃんは今日も汗だくで、元気に仕事に励んでいる。








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今日は父方の祖父の一周忌。

昨日、岐阜にて法要を終えたところである。



で、お気楽な我が家は、どうもそこで供養を終えたような気になってしまったのだろう。

本命日だというのに、今日の夕食後までそのことをすっかり忘れ、線香どころか、遺影前に供える水の取り替えすらしていなかった。

まったく、ひどい話である。

(こう書くと毎朝水を替えているようだが、どうも父母の話を総括すると、実際は週3〜4日しか取り替えていないらしい。これまたひどい話だ。笑)



「ま、そんなもんだわな…笑」

祖父に言われそう。

そろそろ夢枕にでてきそうだ。

「いかんいかん」と、今日は水の代わりに酒をつぐ。




祖父と父、僕の分の酒が机にならんだ。




クイっと酒を飲み干しつつ、線香から立ち上る煙を眺める。



僕が小さな頃から祖父に言われたこと、祖父の電話越しの声、歌う様子(80を過ぎても、祖父は現役の歌の先生だった)、別れ際の笑顔…

いろんなことが思い出される。



病室で祖父の手を握りながらうたた寝したあの日が、つい先日のようだ。

あの日から数日後、祖父は他界し、あれよあれよと言う間に一年が過ぎてしまった。



祖父が亡くなったことへの実感は未だにない。

今でも祖父の家に行けば、「おう」と言って、微笑む祖父が居間にいそうな気がする。



でも実際今は、写真越しでしか、思い出の中でしか酒をともにすることはできない。

「ああ、一緒に呑んで話がしたいなぁ」って思う。

柄にもなく、涙がこぼれちゃいそうだ。(ま、実際涙もろいんだが)



祖父が生前、僕に言ったことの意味を、これから様々な場面でふっと気づかされることだろう。

「あのとき言っていたことは、こういうことか」って。

そういう意味では、今も祖父と対話中なわけだ。



ああ…

でもねぇ。

やっぱ一緒にこたつにでも入りながら、また一杯呑みたいねぇ、じいちゃん。




そんな風にしみじみと思う僕の横で、実家の2頭の愛犬のうち1頭がクワっ〜と寝ていた。

その寝顔を見ていたらなんだか少し穏やかにな気持ちになって、救われた気がした。




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数日前に発表されたオーストラリアのCarlton Draught ビールのCMが、
なかなかのバカバカし面白さを出していたので載せておきたい。

 


逃げなきゃならぬ。

でも、大事なビールをこぼす訳にもいかぬ。

そんな姿を真面目に映像にしているところが、バカバカし面白い。



こんなCMを見ていると思い出すのが、以前紹介したCheers Beerのくだらな面白いCMだ。





"To Every Little Good Thing In Life"というコンセプトのもと、
全てのシーンが「CHEERS(乾杯)」と締めくくられるセンスに脱帽した。

タイのCMはえらく涙を誘うものから、くだらな面白いものまで幅広く、
クオリティーが高い。




他国のビールのCMもいくつかあげておこう。



まずはインド。

Cobra Beer!




象による洗車で、車はピッカピカ。

でも、結局車が故障して、他の男に意中の女をもっていかれる。

インドらしいコミカルさだ。

どことなく、タイに近い。




次に、冒頭で載せたCarlton Draftビールの壮大スケール版。




力強い音楽にのせて、大移動する人々。

なんとも壮大。

そう、さっきのインドの兄ちゃんのように、ビールには人生のあらゆる局面が凝縮された、壮大な物語性があって然りなのだ。(意味不明かな?)




さて、シンガポール。

タイガービール!



前世において因縁をもつ2人の男。

輪廻の後、タクシー取りで見事勝利をおさめた男が、バーでビールをグイっと。

これだけ長い道のりを経た勝利のビールはウマいに違いない。

これもまた壮大、である。



おっと、お継ぎはアメリカ。

Bud Light!



アメリカらしく、なんともファンキー。

妙にハイテンションで入店するところが、イカしている。

ある意味、壮大だ。




そして、最後にイギリス、Guinness。

さすが大英帝国って感じの壮大さなので2本載せたい。




ビールがピタゴラスイッチばりにツーと繋がっていく幸運。

で、商談中の男の手元にビールが届く。

クールにビールを傾けた男に、

"fortune favors the bold(幸運は勇者に味方する)"

の字幕。

おい、おい。なんとも、カッコいいではないか。

ストーリー性が高い。

壮大すぎる。(うるさい?)




でも、ラストは本当に、壮大中の壮大そのもの。





”bring it to life”

「ギネスビールはグラスに注がれた瞬間、驚愕のビールとなって我々の前に立ち現れる」ということを表現するコピーである。

ギネスビールは新しい世界を届ける、というコンセプトなわけだ。

それを映像では、屈強な男達が天地創造する様で表現される。



ロケットの爆発をきっかけとして、世界中に拡大される生命力。

地面はカチ割られ、大地に水が行き渡り、海に魚が放たれる。

珊瑚や稲、木々が大地に植え付けられる。

鳥が放たれる。

つまり、陸海空が創造されていく。

新しい世界が始まる。

ギネスビールはそんなビール…

ってかっこ良すぎるね!

圧巻!



というわけで、今日はビールの壮大さ(?)に焦点をあてて各国のCMを紹介してみた。

人生に彩りを与えてくれるビール(と僕は思っている)。

それをどう位置づけ、どのように表現するか。

天地創造や輪廻、ファンキーさなど各国・各社の思想の違いが現れてなかなか面白いものである。



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「行き詰まった日本を捨てて、あなたは海外で生きられますか?」







今月のCOURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2012年 10月号は、なかなか挑発的(?)なコピーで特集が組まれている。

即買い。

で、本記事で、自分なりの答えをだしてみたい。





”より大きな可能性を求めてアジアへー「越境の時代がやってきた」”


そう題して特集が編まれる。



「日本はアジアではないのか!」とつっこみを入れたくなるところだが、まぁ、そこはおいておこう。

言わんとすることは分かるし。

でも一応ここからは、日本をのぞくアジア地域を括弧付きの「アジア」として書く。



さて、本書は「アジア」を舞台として、働く人々(日系企業の駐在員、現地起業家、現地採用者)の話、学ぶ人々(中国語を習得するために「アジア」に住む欧米の子供)の話、逃げる人々(資産フライト)の話を紹介している。



で、これら各人を、「アジア」を舞台とするにあたって自発的にそこに立ったのか否かで分類すると、次のようにまとめられそうだ。


① 自発的に「アジア」を舞台とする人々。
 ・起業家や現地採用者
 ・資産フライトを目指す人



② なんらかの指令に従って「アジア」を舞台とする人々。 
 ・会社の駐在員
 ・親の教育方針に従う子供





①の方向性


個人的には②に関していうと、欧米人が中国を強く意識してその言語を学ばせようという動きを活発化させているというエピソード自体は面白かったものの、それ以外にはあまり興味がない。



それよりも僕は①の方向性に興味をもつ。

「行き詰まった日本を捨てて、あなたは海外で生きられますか?」の「捨てて」という挑発的な(?)言葉も①を連想させるしね。



僕が思うに、高城剛『モノを捨てよ世界へ出よう』のような、①の方向性は今後もっと高まる。

きっと書店に多くの関連本が並ぶ日は間近なはずだ。

「今後は日本から『アジア』あるいは世界へと展開しなくては」という問題意識や「海外に展開すれば面白い」という考えをもつ人々の思いや行動は加速していくだろう。

「アジア」をはじめとした海外のことなどに全く無関心の人々と、言動の差をどんどん拡げながら。



また、「アジア」や世界を視野にいれる人々の間でも差が出るだろう。

それは、実際に「よっしゃ!ここはいっちょ」と各国へ飛び立つ人々がでてくる反面、「分かっちゃいるけど…」と何かと理由をつけて結局飛び立たない人も出てくる流れである。



つまり、越境の時代、日本から「アジア」・世界へという考えと行動の視点から人々を分類すれば、

①「よっしゃ、ここはいっちょ」と行っちゃう層
②「分かっちゃいるけど…」と行かない層
③ 無関心層

の大きく3つになりそうだ。





②・③の人々の意見


じゃあ、実際に世界に行っちゃう①層と、②・③の層を分けるものはなんだろう?

つまり、「行き詰まった日本を捨てて、あなたは海外で生きられますか?」の問いに対して、②・③の人々に簡単にYes!ってさせない理由はなんであろうか。



飛んでいかない人々の意見としては、こんなのが考えられそうだ。

「仕事や生きていく上で別段海外の舞台を必要としないから」

「わざわざ『アジア』に展開する意味がない」

「日本で頑張ればいい。つうか、日本行き詰まってないし。笑」

「『日本を捨てる』とは何事だ!」

……


つまり、わざわざ海外を舞台に移す必要がないわけで、こういった答えをだすのは③の無関心層といえそうだ。

人間、必要にかられてないことをムリにやる訳ないので、当然と言えば当然である。



では②の「分かっちゃいるけど…」行かない層はどうだろう。

「分かっちゃいるけど、経済的・社会的に大きなリスクが…」

「自分が海外になんて…」

「実際どうやっていいやら…」

……



こんな答えが返ってきそうだ。

で、結果的に、「行き詰まった日本を捨てて、あなたは海外で生きられますか?」の問いに、その必要性や面白さは頭では分かってはいてもなかなかYesとは言えず、結局機会を失ったり、あるいは熱が冷めたりということで実現しないわけだ。





①層と②層の行動の差を生みだす根本的理由としての定住・移住観


では、①層と②層が、共通した考え(=今後は「アジア」や世界を舞台にしないといけない、あるいはそれが面白い)を持っているにも関わらず、行動に差異が出る根本的理由はなんであろうか。

言い換えれば②層の人々の行動にブレーキをかけるものは何だろうか。

自分に自信がもてないとか、将来が不安だ、とか色々あるだろうが、根本的な問題は定住と移動に対する「常識」的な考え方が横たわっているからだと僕は思う。



現在日本の「常識」では、決まったエリアに定住することが良しとされる。

土地を持って定住し、結婚生活を営むことが理想的なゴールとされる。

定住は安定の象徴であり、最良だ。



一方、定住民とは逆の移動民はといえば、住所不定の根無し草。

安定とはほど遠い、寅さんみたいな感じ。

どうしても否定的イメージは拭えない。

これは皆が共有する「常識」であろう。





創られた「常識」


だがこうした「常識」はそもそも、歴史的に具体的には江戸時代を通じて創られたものでしかない。

石高制のもと、農民を土地に縛り付けて兵農分離の徹底と下剋上の傾向抑止のために権力主体が創りだした一つのイデオロギーに過ぎない。

土地に縛り付けられた人々は、それを基礎として税を納める。

そう。定住という「常識」は、権力主体が農民層の田畑や屋敷地の経済的な価値を把握して統治を容易にするための制度に従って創られたものなのだ。


で、当然のことながら、そうした統治スタイルにおいて外れる存在が移動民である。

権力主体にとってさぞ、やっかいな存在だったろう。

だから彼らに差別的対象としてのレッテルを貼る。



たとえば江戸時代、歌舞伎は民衆の間で大人気の芸能で、彼ら芸能者は社会的にも大きな影響力をもつ存在だった。

しかし立場的に彼らは定住することのない河原者であり、差別の対象として扱われた。

たびたび幕府から弾圧も受けている。



このように権力主体の統治上の都合で創られた、定住民が善くて、移住民は排除されるべきという「常識」は今も根強く我々の間に残っている。

土地を持って、家を建てて、定住すること。

これは意識せずとも、信じてやまない極めて良いこととしての「常識」なのだ。





住のあり方の相対化


でも、思う。

もっと住のあり方について、あるいは生のあり方について、歴史的文脈や世界的視野にたって相対化し柔軟に考える必要があるのではないだろうか、と。

今の「常識」は歴史的にみれば創られたものであり、なおかつ同時代の世界を見回してみても日本独特のものでしかない、といった発想である。



たとえば、かつて網野善彦氏は現在の我々の生き方の問題について次のような感じで語っていた。

人間は自らのために生産して余剰を交易するのではなく、本来的に社会との関わりを持ちつつ生産し生活していることを前提として、定住と移動とは人間の社会生活の中で不可分の意味を持っていたことを確認すべき。

その上で自給自足経済から商品交換経済になること、漂泊から定住、遍歴から定着へのプロセスを単純に「進歩」と考えるような捉え方を克服しなくてはいけない、と。



こうした氏の主張は、日本から「アジア」・世界へというアクションを実際に起こすために重要な下敷きとなろう。

定住だけではなく移動することにも価値があることを確認し、限られた地域に定住することでのみしか生きていけないと無意識に信じることを相対化しなくてはならないのだ。





試住とハーナーディー


そこで僕はこんな風に考える。

移動しながら試しにその土地に住んでみるかというような緩めの発想をもったらどうだろう、と。

仮に「試住」とでも呼ぼうか。まぁ、試乗みたいなもんだ。

試住の価値が問われてもいいのではないか。



たとえば100年以上前のタイ・イサーンでは、ラオ人はハーナーディーを行った。

「ハー」とは探す、「ナーディー」は良田。

つまりは良田探し。

彼らは、良き田、良き生活を求めて移動を繰り返した。

僕の言葉で言えば、試住を繰り返していた。



で、移動先での試住の期間は数年の場合もあれば、数十年、百年以上の場合もあった。

百年以上ともなる試住は、ある意味定住ともいえる。

つまり定住は、エリアから離れることと試住の連続的なプロセスのなかで進行するに過ぎないわけで、極めて相対化されたものである。

言い換えれば定住は、エリア離脱と試住の生活様式なかで立ち現れる一つの局面でしかないのだ。

土地に縛り付けられることを絶対的基礎として社会が成り立つ日本とは大きく異なるといえよう。





ハーナーディーと情報ネットワーク


そして、そんなハーナーディーのあり方をみると、それは計画性と情報ネットワークを必要とする、極めて社会的な営みだったことがわかる。

まず、移動に先立って、現地へのいくらかの物見遊山とそれを支える情報が存在した。

で、「これは」と思ったらその耕地を検分に行き、先住者と交渉。

その後に移動して実際に試住する。

つまり、あてもなくさまよう冒険的で根無し草的イメージとは異なる試住スタイルなのだ。

そこで重要となるのは、自分の住むエリアを越えた情報ネットワークである。

王権が絶対的な影響力をもたない社会だったイサーンにおいて、個人間のネットワークが生きていく上で必要不可欠だったのは当然だったわけだ。





試住の手本としてのハーナーディーの価値


で、今後は日本だけのエリアに縛られるのではない行動を起こす、つまりは日本の権力から相対的に自由になって動こうとするならば、こうしたイサーンでかつて見られたようなネットワークを利用した試住スタイルは一つの指針として意義をもつと思う。

試住の考え方が、②層の人々が実際に海外へと行動をおこす①へと移行するための基盤になるのではないか。

試住によって、自分の定住エリアに完結することなく、個々人をつなぐ社会関係の連鎖を最大限に利用して海を越えた活動に暮らしの活路や生の拡充を見出せる、という考え方が定住と並ぶ一つの「常識」として認められればいいのである。

実際、ネットワークに関するインフラはインターネットで十分に整っている。

だからあとは、定住や移住に対する「常識」が相対化されればよいのである。

冒頭でもあげたイサーンのこんな写真の様子が、日本でも一つのアリな「常識」の範疇になるように。



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少々話が長くなってしまった。

最後に試住の考えをもって、クーリエのコピーに立ち戻ろう。

「行き詰まった日本を捨てて、あなたは海外で生きられますか?」

こんな答え方ができそうだ。

試住の立場からすれば、日本も試住のエリアの一つでしかなく、「日本を捨てる」という極端な発想までいかなくても、と。

そんな風に段階を踏まないと、なかなか踏み出せない人も多いと思うわけです。




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日・韓問題。

国レベルでは何かと大変だ。





でも映像のように、人と人が身体をつけあわせること。

これはいいなぁと思う。



抱き合うことで相手の体温をリアルに感じとる。

そこで生まれる自然な笑顔。

身体のふれあいを通じて喚起される感情は、頭で思っていることとはまったく違うもののはずだ。




最近は、実際に触れたり、嗅いだり、食べたり、聞いたり、見たりといったいわゆる五感を鋭くせねばなぁと思う。

なぜならば、それが4次元的な世界(あっちの世界ともいえようか)を含んだ世界観の基礎となると考えるからだ。



たとえば、タイをはじめとした各地の儀礼。

我々の住む世界と異界の結節点として儀礼が行われているとすると、観察者は己の五感すべてを駆使してそれに向き合わねば、儀礼を演じる者が達している(と考えられる)4次元的な異界の入り口にたつことができない。

儀礼の場にあるモノに触れる。

儀礼に登場する様々なものの匂いをかぎ、味わう。

儀礼の音に耳を傾ける。

演者をはじめとした全てのものを俯瞰する。

トータルに儀礼と向き合うことが必要なのである。



もちろん観察者として、演者の達する4次元的世界には入り込めない限界がある。

でもそれを知りながらも世界に近づこうとする。

多少なりとも感じようとする。

その姿勢は重要であろう。



そして、4次元的な世界への想像力が高まると、目の前に拡がる世界に対する認識が相対化され、世界が様々な層からなりたっていることを教えられる。

自分のコスモロジーが拡がる。

人生において自分のコスモロジーや世界観を常に意識し考えることは決定的に重要である。




このように、五感をフルに使って物事を眺め、頭だけでなく、身体全てで感じたり思考する。

そして4次元の世界への想像力をもっと鍛えていく。

今、身体論を基礎にすえた世界感の形成や社会的行動を問わねばならないと思うのである。




それにしても今回の記事。

「Free Hugs for Korea-Japan Peace (日本人が韓国でフリーハグをしてみた)」から話が飛び過ぎな気もする…





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CNNに8月6日付で「バンコク・カオサン通りのストリートファッション」という記事が掲載されていた。(コチラ







カオサンにいたオランダ人、タイ人、韓国人、ポーランド人、イングランド人、マレーシア人の各ファッションが紹介されている。

ファッションの善し悪しについてはよくわからないが、「カオサンもファッショナブルな人々が集う街と注目されるようになったんだなぁ」とは思う。



記事にもある。

”10年前は、汚いゲストハウスや旅行代理店、パブが並ぶだけの通りだった…

それが今ではスターバックスからistudioまで並ぶ街になった”



そう。僕が初めてタイに訪れたのは15年ほど前のことだが、そのとき、最初に泊まったのがカオサン通りのゲストハウスで、今とはだいぶ様相が違った。

記事の通りである。



何か特別な物があるわけでも無かった。

でも当時、僕はカオサンが大好きだった。

かといって僕は、いわゆるバックパッカーではない。

何かしらの熱い思い(当時で言えば”自分探し”みたいな)なんかも、一切持ち合わせていなかった。

ただただタイの雰囲気が好きで、そこの象徴的存在がカオサンだったように思う。



2〜300円で一泊できちゃったり、メシが60円くらいで食べれたり。とにかく色々な物が安かった。(まぁ、実際、今も値段はそんなに変わってないっちゃあ変わってない部分もあるけど…)

ゲストハウスの共同シャワーを浴びた後で、屋台を茶化しながらブラブラ。

異国の酷暑の中で、シンハビールやらチャーンビールを友人と呑むのがとにかく楽しかった。





街全体からマグマのように発せられる巨大なエネルギーは、当時の僕に大きな衝撃を与えた。

何もかもが新鮮で、なにより刺激的だった。



そんなカオサン通りも今や世界のファッショナブルな人々が集まると街として(言い過ぎ?)注目されている。

当時とはだいぶ変わった。

でも、今でもカオサンは好きだし、時折行きたくなる。

それはカオサンのエネルギーが健在で、まだ僕を惹き付けてあまりあるからだろう。



2年半前にカオサン通りの端から端まで映像におさめたのだが、今どれほど変わったのだろうか。



「そろそろ映像におさめて比べてみなければ」という妙な決意を固めずにはいられない。




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